宗教学的に見て、おそらく、人間は、自ら神とあがめる存在に対して、自分たちが主食とする食材をささげてきたのではないかと思われます。
たとえば、天皇家では、今でも、新嘗祭、神嘗祭には、五穀がささげられています。
ところで、世界中で一番読まれているといわれる『聖書』では、どうでしょうか。
まず、旧約聖書の創世記4章では、カインとアベルの兄弟がそれぞれ、兄のカインが土の実りを、弟のアベルが羊の初子をささげますが、神が受け入れたのは弟のアベルのささげものでした。
次に、ノアが洪水が終わった後に築いた祭壇でささげたものは、清い家畜と清い鳥でした(創世記8章20節)。
さらに、イスラエルの父と呼ばれるアブラハムが息子のイサクのかわりにささげたものは、一匹の雄羊でした(創世記22章)。
このように『聖書』の古代史を見ると、人々が神にささげたものは、家畜などの動物であり、これは、間接的ですが、人間が動物を、すなわち、タンパク質と脂質を主食としていた証拠といえることができるのではないかと思います。
『聖書』には、「人間の一生は百二十年となった」(創世記6章3節)とあります。人間が、食事も含めて、本来、神が与えられた生き方をすれば、モーセのように、健康で120年の人生を全うできるということです。
ちなみに、キリストも「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に、復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである」(ヨハネ6章54・55節)と言われました。
古代では、卵はなかったかもしれませんが、家畜の肉や乳製品からできる、バターは人間の主食。現代で言えば、MEC食こそ、『聖書』の世界と共通する本来の食事と言えるのです。
# by omasico | 2014-08-09 21:16 | 歴史と宗教