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ピーター&ポール

 タイトルからして、かつて一世を風靡した「ピーター、ポール&マリー」の話かと思われる方がいたら申し訳ありません。残念ながらこのブログのねたにはならないのです。ここで言う「ピーター&ポール」とは、ペトロとパウロのことです。今日、6月29日は、キリスト教会にとって欠かすことのできない、この二人を記念する祭日なのです。 
 ところで、わたくしの所属する小教区は、この二人の聖人を保護の聖人としています。 
 
 ペトロは本名をシモンといいます。キリストご自身がペトロのことを「シモン・バル・ヨナ」と言っています。「バル・ヨナ」とはヨナの息子という意味です。当時は、ちょうど江戸時代と同じように、いわゆる庶民=一般民衆には苗字のようなものはなく、同じ名前の人が多かったことから、「○○の子××」と言う呼び方をしていました。ですから、ペトロも普段は、「ヨナの子シモン」と言うことで、「シモン・バル・ヨナ」と呼ばれていました。 
 ペトロは、もちろん、ガリラヤ生まれのイスラエル人でしたから、ことばも生活も、ユダヤ文化圏の習慣に従っていたことでしょう。もし、それが続いていれば、今でも、キリスト教は、ユダヤ語が聖書や典礼の言語だったかもしれません。ところが、使徒言行録の10章にあるように、ペトロがカイサリアのコルネリウスに洗礼を授けたところから、状況は変わってきます。おそらく、エルサレムにとどまっていた使徒たちの共通認識としては、救いはイスラエル=当時のユダヤ教に属する人々だけにもたらされると思っていたようですから、この、事態は、非常な驚きをもって受け止められたことと思います。 
 それに拍車をかけたのがパウロによる異邦人への宣教です。パウロは各地のユダヤ教の会堂での宣教が功を奏しないと見ると、異邦人への宣教に力を注ぐようになります(これは、『聖書』の預言にあるとおりですが)。それによって、ユダヤ教ではない多くの人が、洗礼を受けて、教会共同体に所属するようになります。これは、キリスト教会にとって、著しい変化をもたらしました。もともとは
ユダヤ教のナザレ派
だったキリスト信者は、ローマ帝国によるエルサレムの破壊の後は、独自の歩みを始めることになるのです。 
 現代の神学者の中には、もし、パウロが異邦人への宣教をしなければ、キリスト教は違った歩みをしていた、と言う人もいるくらいです。歴史に「もし」は禁物と言われていますが、教会が、ユダヤ教の枠をもっと重要視していたら、現代でも、聖書や典礼のことばは、聖書のヘブライ語のままだったかもしれません。  

ペトロとパウロ、二人の宣教の成果は大きなものだったことは間違いありません。すなわち、それは、キリスト教のユダヤ文化からの脱却であり、当時の世界宗教=共通言語と共通文化に広めることになったのです。このような、特定の文化からの脱却、実は、現代の教会が、もっとも見習わなければならない、教会の本質ではないかと思います。  
 
 ペトロとパウロの宣教の影には、このような教会の伝統の本質が隠されているのです。

by omasico | 2006-06-29 07:08 | 祈り・聖歌  

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