本当かどうかわからないけれど

+ 主の平和。

 昨日、7月30日は、月に一回の、「長野教会聖歌隊」の練習日でした。
 3月から始め、今回が5回目。「指導が厳しい」というご意見もあるようですが、「聖歌」は歌ではなく、神のことば(『聖書』)によって、神に祈るものです。やはり、祈りを深く、品位あるものにするには、真剣になるのは当然です。そして、わたしが、一つでも間違った解釈で祈り方を伝えれば、聖歌隊はもちろん、聖歌隊のリードで歌うその共同体全体が間違った解釈で歌うことになるのです。
 教父の伝統では、
祈りの旋律は、ことばの解釈の表現
と言うものがあります。教会のことわざでも
祈りの法則は、信仰の法則
と言います。このようなことからも、聖歌は、単に歌、ではなく、祈りそのものであることがわかると思います。

 さて、今回は、8月の答唱詩編を中心にした準備、ということで,8月15日「聖母の被昇天」の祭日も含まれていました。この日の答唱詩編は詩編45、36「神のいつくしみを」です。この曲については、「お勧めサイト」から『今日の聖歌』をクリックしてご覧ください。
 この詩編、グレゴリオ聖歌では、"Audi filia" が有名です。
娘よ、聞け、耳を傾けよ。おまえの民と父母の家を忘れよ。
というのが、詩編のその節です。原意は、イスラエルの王に嫁いできた他国の王妃に、
おまえの民と父母の信じている神ではなく、イスラエル神。唯一、まことの神を信じなさい
というものです。

 Audiというと、四つのわっかのついた車を思い浮かべる方も多いと思います。この車、ドイツの車だったと思いますが、ドイツ語の辞書を調べても、Audiという単語はありません。ところで、このAudiのライバルとも言うべき車は、ベンツでしょう。最近は日本でも「メルセデス」と言うようになりました。この「メルセデス」、実は、ベンツの初代の社長さんのお嬢さんの名前なのだそうです。
 で、Audiの元の意味をもう一回、振り返ってください。「娘よ、聞け、耳を傾けよ。おまえの民と父母の家を忘れよ。」この中の、」を「」に変えてみてください。 一方の会社の社長さんが、もう一方の会社のお嬢さんに、
あなたのお父さんの作った車でなく、わたしの作った車にお乗りなさい。わたしのほうがいい車ですよ。
と言っているように聞こえませんか。 
 これが、本当かどうかわかりませんが、このAudiに、こんな意味が含まれているとしたら、なんと、おしゃれな遊び心でしょう。わたしたち、日本人にはちょっと想像できませんよね。それ以上に、ドイツの人たちが、このジョークを、Audiという一つのことばで、わかるとしたら、いかに、ドイツの人たちの心に、『聖書』のことばが、グレゴリオ聖歌によって、深くしみこんでいることか?わたしたち、日本人の心にも、これだけの余裕があれば、もっと、生活がおおらかになるかもしれません。

この詩編を祈ったり、準備するとき、いつもこのことが頭に浮かび、この話をしています。今回も、長野教会の聖歌隊の皆さんに「余談ですが」と話したところ、皆さん、不思議そうに納得しながらも、おおらかに笑っておられました。
 聖歌の練習も、実は、このような裏話?が、祈りを深めるきっかけになると思います。

 これが本当なら、言ったほうも、言われてムキにならないほうも、どちらの社長さんも、おおらかな心の持ち主だと思いませんか?
 

 
[PR]

by omasico | 2005-07-31 20:25 | 祈り・聖歌  

<< アップロード奮戦記 雨にも負けず >>