戦時中の話(1)

明日は、聖母の被昇天、そして、終戦の玉音放送が流れた日です。
そこで、86歳の母が、時々してくれる話を皆さんにお伝えしたいと思います。
日中戦争中から、戦地の兵隊さんに、内地から慰問袋が送られました。中には、戦地で苦労しておられる兵隊さんへの感謝の贈り物や、手紙も添えられました。たいてい、手紙の返事が来ても、それが、続くことはなかったようですが、たまたま、母が送った慰問袋を受け取った方と母は、それ以来、文通が続きます。その方は、下士官だったのですが、大変優秀な方で、なんと、陸軍士官学校で教官に任命され、内地に戻ってこられました。
士官学校もそうですが、内地の兵舎には、酒保と呼ばれる、ま、今でいえば社内食堂と売店が一緒になったような、ところがありました。戦争中ですから、「贅沢は敵だ」「ほしがりません、勝つまでは」といった標語が街頭にあふれていた時代なのですが、その方は、ある時、酒保から、母の家に、羊羹を持ってきてくださったそうです。
その羊羹は、今でも、普通の和菓子屋さんでもお目にかかれないような、端には、砂糖が結晶になったように固まった羊羹だったそうです。
それ以外にも、一般の家では、電気は使用限度があったのですが、職業軍人の、特に、高級将校の家では、そういうことはなく、電気も存分に使えたとか。
これ以上のことは書きませんが、これが、戦争中の現実だということです。
ちなみに、日本では、8月15日が終戦記念日となっていますが、連合国では、ミズーリー号艦上で、調印式がなされた日が、戦争の終わりとされています。この、違いをどのようにとらえるのかは、また、別の機会に記したいと思います。

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by omasico | 2014-08-14 22:03 | 歴史と宗教  

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