顔が見えない!

 このブログも、一週間ぶりの更新となってしまいました。サボるつもりはなかったのですが、このところ、降誕祭の準備とか、聖歌グループの翌年の予定作りとか、自分のオルガンの練習もしないといけないとか、雑用に追われています。

 で、今回は、友人の一人から、教会の分かち合いとブログでの分かち合いの違いは何ぞや?と、聞かれて、ちょっと考えてみようと思ったと言う次第です。で、友人が教わった分かち合いの定義は
  1. 教会の部屋で、指導者と共に数人でする

  2. 分かち合いでの意見に、否定や反対意見をはさんではいけない

  3. 自分からの発言は、してもしなくてもよい

  4. 分かち合いで話された内容は、絶対他の場所で、その場にいなかった人に話してはいけない(どうしても話す必要があるときは、5W1Hを変えて、わからないようにしてから話す)
というものです。

 さて、では、ブログでの分かち合いはというと、まず、1、についてですが、コメントを書き込むのは、発信者の記述が済んだ後になりますから、途中で意見することはありません。2、はブログは閲覧だけも可能です。3、は「検索」と言う機能を使えばある程度分かりますし、コメントも、公開コメントだと完全に無防備です。
 もう一つ、コメントについて言えることは、最初の発言者であるブログの管理者が、「このコメントは不要」と思えば削除できますから、これは、自分に都合の悪い意見は完全に抹殺できるわけです。また、取りまとめ役もいませんから、発言は、し放題です。

 そして、これが、一番違うところですが、ブログの場合は
お互いの顔が見えない
ことが大きな、問題ではないかと思います。ことわざでも
「目は口ほどにものを言い」
と言うものがあります。また
「人と話すときは目を見るように」
とも言われます。
 目に代表されるように、人間の考えには、表情も大事な表現となります。また、その、分かち合いの空気=雰囲気大きく影響しますし、どのような文脈、経緯かということも、関連してします。

 ブログでは、この、人の表情と言うものが、伝わってきません。果たして、これが、どこまで分かち合いと表現できるかどうかは、やはり疑問です。書物や文献を読むときにも言えることですが、その文書が、どのような文脈、経緯で書かれたか、作者の発言の意図はどこにあるのか、が大事です。ブログで、これらがきちんと伝わらない、とりわけ、読み取ることができないとなれば、そこにも大きなギャップ・行き違いが生まれることにもなりかねません。

 ブロードバンドを使った、ブログは誰にでも、どこにいる人とでも、やり取りできると言う利点はありますが、相手の表情や意図が、読み取れない、いわば無味乾燥に近いということも、前提にしておく必要があるのではないかと思います。
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by omasico | 2005-12-13 06:30 | HP・ブログ・通信  

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