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歌唱ミサの練習

昨日と今日で助祭コースの歌唱ミサの練習を終えて 今年のカリキュラムがすべて(わたくしも助祭さんたちも)終了しました。

昨日と今日にかけて一人20分ずつ叙唱と奉献文などをれんしゅうしましたが 助祭さんたちは一人20分でもわたくしは人数分の時間。ただ歌うだけではなく 祈りのことばをより味わえるように 技術的なことも含めてアドバイスしたり 音がうまく取れないところは一緒に歌ったりします。一人ひとりの力量が違うので 各々にふさわしいアドバイスをしなければなりません。

こういうことのために 授業の後の「晩の祈り」や翌日の「朝の祈り」にも参加して 司式の様子を聞いています。

さらに 一緒に歌って的確なアドバイスをするためには わたくしがきちんと歌えなければなりません。そのために 行きたくはない仕事の往復の時間を活用して 歌っています。この日(一日あるいは二日)のために多くの時間を割いています。

一人20分の練習は わたくしにすれば少ない時間ですが 各々得手不得手もありますので 無理にというわけにもいきません。それでも昨日今日の練習で どの助祭さんも祈り方がよりよくなったと感じました。とりわけ一人の助祭さんは個人練習の時間を使って一年かけて準備をしてくださいました。

皆さん音楽を専門に勉強した方ではありませんので 全員がいい声 いい音程 ではないかもしれません。しかし それ以上に大切なのは 司祭として司式者として朗唱する祈りのことば 救いの歴史の叙述 キリストのことばを 音楽=歌という手段によって より美しく表現し 味わい深くすることです。そのためには 時間も回数も必要でしょう。そして何よりも 祈りをより美しく表現し味わい深くするために 司祭が歌うには その祈りにこたえる会衆の皆さんの協力がなければできないわけです。司祭が歌唱ミサをするためには会衆の皆さんも一緒に心を合わせて歌っていただきたいとお願いします。

今年度の練習は終わりました。わたくしは明日ではなく 今日入浴時からまた来年の歌唱ミサの練習に向けて準備を始めます。

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by omasico | 2017-01-31 17:00 | 祈り・聖歌  

日課

 記事が、相前後しますが、当別に来てからの日課をご紹介します。

 朝、3時30分、修道者の皆さんと同じ時間に起床。10分で着替え、洗顔を済ませ、聖堂に向かいます。聖堂までは、歩いて30秒。3時45分に最初の時課である「読書」が始まります。当別の場合は、最初に当該日の唱和と唱句のあと、まず、聖書朗読。続いて、二週間ずれての唱和と唱句があり、『毎日の読書』から、その日の朗読が行われます。
 修道者の皆さんは、その後、黙想ですが、わたしは、しばし、フリータイム。日によって、読書をしたり、一眠りしたり、まちまちでした。

 5時45分から、「朝の祈り」、引き続き、ミサ。ミサが始まる前には、夜が白々と明け始めます。季節によっては、窓から、日の光が差し込むのでしょう。感謝の典礼に入ると、内陣で、修道者の方々と一緒に、祭壇を囲むように招かれました。

 ミサが終わる7時15分には、小食堂で朝食の用意がととのっています。と言っても、パンと牛乳、ヨーグルト、ジャム、バター。コーヒーはインスタントコーヒーを自分でいれます。これには理由があります。この時間まで、修道者の方々は、時課の典礼、ミサ、黙想と、厨房に入る暇がありません。ですから、修道者の方々も、朝は、このような質素な食事をなさっているのです。それでも、出されるものはすべて自家製。特に、牛乳は、クリームが浮いている濃厚なものです。

 朝食の後、しばらく、休憩をして、8時から三時課。その後、8時20分から、集会室で朝の講和。内容は、主に、神学院の授業から、こちらの修道院の典礼に関連したことをお話ししました。

 9時から、修道者の方々は、それぞれの作業やお仕事があります。わたくしは、午前中は、フリータイム。前にも書いたように、オルガンの練習をしたり、読書をしたり、はがきを書いたり、一日は、渡島当別の駅まで歩いて往復しました。滞在していた期間、ほとんど、天候に恵まれず、雪の日が多かったので、散歩がほとんどできなかったのは、残念でした。
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 11時15分、かなり、早い昼食の後、13時10分の九時課が終わると、個人練習を16時30分まで、こなします。一人、20分で、途中、10分の休憩を二回挟みました。個人練習の時間も、修道者の皆さんは、作業やお仕事の時間で、それぞれに作業をやりくりして、参加してくださいました。

 個人練習が終わると夕食までの間に、入浴を済ませ、夕食となります。自宅にいるときには、ここで、一杯やるのですが、まだ、この後、練習と二つの時課が待っているので、飲むわけにはいきません。18時40分から、いよいよ、全体の練習です。といっても、約30分なので、こちらとしては、かなり、窮屈なのですが、普段の日課の合間を縫ってのことですから、修道者の皆さんには大変だったと思います。それでも、皆さん、熱心に練習されました。もちろん、すぐに結果が出るわけではありませんが、いくつかの、進展がみられるようになったのは、うれしい限りです。

 練習の後は、待っていたように、「晩の祈り」、続いて「寝る前の祈り」。「寝る前の祈り」が終わると、暗闇に照らし出された聖母子像に向かって、全員が立ち、一日の最後の交唱、Salve Regina を歌います。旋律は、シトー会独特のもので、四線譜が、案内のパンフレットにも載っています。こうして、当別の一日が終わり、部屋へ戻って、喉を潤すと、後は、安らかな休息につくのでした。
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by omasico | 2010-03-26 19:51 | 祈り・聖歌  

オルガン

 去年、当別に個人黙想に行った、助祭のM神学生から、「オルガンのない時課もあるんですよ。」と聞かされて、少し、ショックを受けていました。実際、三時課と九時課は、オルガンなしで唱和していましたので、大院長さんに「わたくしがオルガンを弾いてもよろしいですか?」と申し出ると、「ぜひお願いします。」とのことで、水曜日の、三時課から、オルガンを弾くことになりました。
 
 三時課と九時課は、いわゆる「昼の祈り」で、唱和も章句も簡素なものです。所属、小教区の聖歌練習の後の、「昼の祈り」でも、伴奏をしているので、ここのところは、よいのですが、当別、固有の賛歌と連願、聖母の交唱に、慣れるまで、時間がかかりました。

 二つの時課に加えて、オルガンを弾いている、修道士のIさんとGさんの要望もあって、金曜日、大院長様司式のミサ、主日の副院長様司式のミサのときにも、オルガンを担当しました。特に、Iさんは、オルガンのそばの席に座って、熱心に、伴奏の様子、ストップの使い方をメモしていらっしゃいました。主日の副院長様司式のミサでは、記念唱はⅡ、すなわち、会衆の応唱が「主の死を仰ぎ、復活をたたえ、告げ知らせよう~」を使ったので、一瞬、オッ!! とは言え、ミサの式次第の伴奏譜には、Ⅱも載せてあるので、あわてることなく伴奏をつけます。後で、どなたかから「言ってませんでしたね。主日の記念唱はⅡを使うんですよ。」と教えていただきました。
 ミサの時、一番、困ったのは、タイミングです。朝の祈りが終わり、司祭だけ、聖堂の外に備え付けられたクローゼットから祭服を出してきると、入祭の歌を始めるのですが、オルガンのところからは、司祭団が見えません。Iさんに教えてもらって、前奏開始。その後も、司祭への音出しや、答唱詩編、詠唱のタイミングなど、いつもの小教区の場合と異なることから、今ひとつしっくり、来なかったところもありました。最初の司式の大院長様も、ときどき、戸惑われた様子でした。次回からは、大体のタイミングもつかめましたので、あわてないで、奉仕できると思います。

 午前中のフリーの時間、三回ほど、オルガンを弾かせていただきました。ルクセンブルク製のオルガンも、湿気のせいで、♯♭鍵盤の象牙がはげていたり、副院長様の話だと、普段、決まったストップしか使っていないので、埃も溜まっているかもしれない、とのことで、「どんどん、弾いてください」とはっぱをかけられました。時間の関係で、ミサで弾く曲、時課の賛歌や交唱が主でしたが、もっていった、バッハのトリオソナタなどの曲も、練習できました。

 かなり、ぼこぼこのところもあるオルガンですが、やはり、残響もあり、何よりも、ホールのオルガンと違って、毎日、使っているので、音がなじんでいます。このオルガンを毎日弾けるなら、当別に移住してもいいかな?なんて、考えてしまいました。
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by omasico | 2010-03-26 19:17 | 祈り・聖歌  

始動

 当別に来て、最初の行事?は、夕食でした。
 「食事は、修道者の方々と同じで結構です。」とお願いしていたのですが、出てきた食事は、「大食漢で大酒のみ」だけがキリストと同じ、わたくしでも、十分に過ぎるものでした。さすがに、残すのは忍びなかったので、食べられそうもないものは、手をつけないでおきました。修道院としては、やはり、「お客様」、「先生」ですし、加えて、四旬節ですので、下にもおかないもてなしを!と言うことだったのでしょう。
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 さて、食事の後は、いよいよ、晩の祈りですが、その前に、「先生!」という元気な声が廊下でしました。札幌教区のJ神学生が、当別に来ていたことは、東京でS神父さんから伺っていましたが、彼のほうから、尋ねてきてくれました。話しによると、水曜日までの滞在で、普段は、修道者の方と一緒に寝起きし、午後は、ともに作業もしているとのことでした。

 J神学生も、時課の典礼は、一般席で参加しているので、わからないところを教えてくれました。灯台の聖母大修道院は、司教の行政干渉を受けない、免属修道院なので、時課の典礼の賛歌などは、独自のものを使うことが認められています。賛歌は季節や年間に分けられて、時課ごとに歌うものが決められていました。

 晩のいのりに続いて、寝る前の祈りが行われ、最後は、シトー会オリジナルの Salve Regina が歌われます。その後、修道者の皆さんは、大院長様から、聖水による祝福を受けて、それぞれの部屋に向かいます。J神学生も自室に戻り、わたくしも、部屋に戻りましたが、これから、どのように練習するかを、思案しなければなりませんでした。
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by omasico | 2010-03-25 16:43 | 祈り・聖歌  

出発!!

 3月8日、前日、宿泊した神学院の東京キャンパスを出て、東京駅から、「はやて15号」の乗客となりました。
大宮を過ぎた頃、東京駅の近くのセブンイレブンで買った、お弁当で昼食。そういえば、店員さんが、みんな、日本国籍の人ではなかったような。さっさと、食べ終わりましたが、やや、手持ち無沙汰でした。
 それほど、スピードが出ていないようで、これで、定時に着くのかと思っていましたが、定刻に、仙台、盛岡と到着。盛岡で「こまち15号」を先にやった後、一路、八戸へ。前回「やはて」に乗ったときは、まだ、盛岡までだったので、この区間は、初乗車です。
 いつも、「あさま」に乗るときは、下りの場合、1番のE席をとるのですが、今回は、乗車時間が3時間あまりあるので、出入りしやすいように、1番のD席(今回は5号車)としました。もっとも、盛岡を過ぎると、車内の閑散として、窓際も空席。盛岡の少し先では、団地の向こうに、岩手山を望むこともできました。
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 さて、「はやて15号」は、岩手沼宮内、二戸、と停車して、八戸へ。ここで「白鳥15号」に乗り換えです。「白鳥15号」はJR東の車両。
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 青森から逆編成になるので、4号車13番を指定。これが、後で、功を奏します。
 三沢、野辺地、浅虫温泉、と停車しますが、わが、4号車は乗客の変動はなし。青森で、逆編成になった列車は、次の信号所で交換のための、運転停車。八戸では、快晴だった空も、いつしか、どんよりとして、今にも雪が降り出しそうです。交換の「スーパー白鳥26号」が通ると、すぐに発車。高速運転のネックとなっている、津軽線を、ジョイント音を「カタン、カタン」と響かせながら走ります。
 次の蟹田では、乗務員が交替。JR北海道の受け持ちになり、いよいよ、渡道の期待が高まりますが、この「白鳥15号」は、津軽今別にも停車する、数少ない列車。津軽今別は、津軽線の津軽二股とは、目と鼻の距離。車内からも、津軽二股の駅を望むことができます。失礼な言い方ですが、こんな、閑散とした駅で、乗降があるのかと思いきや、わたくしよりも若そうな、ご夫婦が、大きな荷物を持って、降りてゆかれました。やはり、停車するだけの理由はあるのですね。
 津軽今別を出ると、いよいよ、青函トンネル。家内と、時たま、メールをやり取りしていましたが、さすがに、青函トンネルでは、携帯電話は通じませんでした。今年の12月には、新幹線が新青森まで延伸。数年のうちには、函館まで開業しますが、そうすると、青函トンネルも、新幹線が通ることになります。
 トンネルを出ると、やはり、まわりは、雪景色。知内を通過したのも知らない内に、下車駅の木古内に到着しました。田舎の駅かと思っていましたが、木古内は、なんと橋上駅舎。さて、お迎えの、トラピストの修道士さんは?と探しますが、ベンチに座っていた、帽子をかぶった、穏やかそうなおじさんが、「S先生ですか?Yです。」と仰る。そう、まさに、その方が、灯台の聖母大修道院長のY神父さんだったのです。
 木古内からは、もう一人の神父さんの運転する車に揺られ、約20分で、トラピストへ。案内された、部屋は、なんと、応接室付の部屋。たしか、前回(20数年前)きたときは、離れたところで、畳部屋だったし、ベッドルームはあっても、こんな部屋ではなかったような、と思っていましたが。そこで、大院長様と練習日程を相談し、いよいよ、当別での生活が始まったのでした。
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by omasico | 2010-03-23 17:24 | 祈り・聖歌  

聞いたこと・見たこと

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 先日の神学院での食事は、新潟教区の助祭さんが、同じ食卓でした。モデラトールの神父さんのブログについての質問から、新潟の菊地司教様のブログ(司教の日記)の話になり、そこから「新潟教区殉教者特別年開幕ミサ」の話題になりました。助祭さんは、司教さんが歌ミサをしたかったのだけれど、Y教会の信者さんたちは、やったことがなかったので、残念ながらできず、来年のミサまでには、できるようにしておいてほしいと、書いています、と、言っていました。
 というわけで、早速、菊地司教様のブログと、教会のホームページを拝見してみました。菊地司教様のブログには、次のように書かれております。「来年のミサでは、司祭と会衆のやりとりの部分も歌いますから、練習しておいてくださいね。せっかくのお祝いなので、臨時でも地区で聖歌隊を編成しても良いかもしれませんね。お考え下さい。」Y教会のほうは、まだ、司教さんのブログを見ていないのか?どうか、何も、この件については何も書かれておりませんでした。
 とはいっても、「歌唱ミサ」の練習も、ただ歌えばいいというわけではありませんし、基本的には、ミサの祈りそのものに他なりませんからね。歌うことよりも、どのように、祈りを深めてゆくかが問題です。Y教会の信徒数を、助祭さんに伺ったところ、「普段のミサは30人くらいだそうです。」とのことで、もしかしたら、Y教会の皆さんは、「この人数では、とても無理」と思っていらっしゃるかもしれません。それを考えてか、司教様も「臨時でも地区で聖歌隊を編成しても良いかもしれませんね。」と、書いておられましたが、わたくしの経験から言えば、20人の方が、きちんと準備すれば、「歌唱ミサ」は決して、不可能ではありません。あとは皆さんのやる気次第ですね。とは言え、準備するにしても、Y教会だけでは、もったいないですし、せっかくの教区の記念行事ですから、近隣の小教区の方々も協力して、祈りが深まる「歌唱ミサ」が準備できればいいですね。
 それにしても、今回の、菊地司教様のおっしゃった「司祭と会衆のやりとりの部分も歌いますから、練習しておいてくださいね。」は、Y教会だけではなく、教区全体の小教区の皆さんへのメッセージではないかと思うのはわたくしだけでしょうか?
 ちなみに、来年のミサの時には、神学院で学んでいる助祭さんも、司祭として参加されると思います。助祭さんも、司祭になって、司教様と一緒に、奉献文をしっかりと歌えるように、わたくしも、助祭コースの歌唱ミサの準備を、しっかりとやりたいと思います。もちろん、あの一言は決して言いませんので、ご安心を!!
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by omasico | 2008-05-15 18:34 | 祈り・聖歌  

「典礼聖歌アンサンブル」10周年記念演奏会

 
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 20日は、東京に日帰りで行ってきました。写真のプログラムにもあるように、渋谷で、「典礼聖歌アンサンブル」の10周年記念演奏会があったからです。CD作りでは、解説を書いたり、細かいアドバイスをしたりしておりますので、聴きに行かないわけにはゆきません。
 すでに、3月には、CDの録音もしている、日本基督教団豊中教会で、大阪での演奏会があり、そのときの録音を聞いていて、指揮者のUさんには、直したほうがよいところを、申し上げておきましたので、それに比べるとかなりよいできでした。もちろん、詩編をはじめ、先唱者一人ひとりの細かいことを上げればいろいろと出てきますが、それ以上に、大阪での経験を踏まえて、東京の演奏会は、すばらしい出来だったと思います。
 第一ステージは、復活節にちなんだミサの構成でしたが、聞いていて、前後のミサの流れがはっきりと体で感じられました。「栄光の賛歌」や「いつくしみと愛」の後には、自分がオルガンのところで、司祭にFを出すような錯覚さえ起こりましたし、「感謝の賛歌」の後は、司祭の奉献文が頭をよぎり、「平和の賛歌」の後では、拝領前の信仰告白さえ唱えそうになり、まさに、ミサに参加しているようにさえ思えました。 
 これは、第四ステージでも同じで、答唱詩編のものは、たとえば、自分が侍者をしていて、一緒に歌っているようで、自然に口ずさんだり、「愛の賛歌」は、自分の結婚式で署名をしている用に思えましたし、アンコールの「平和の祈り」では、特に「なぐさめられるよりも~」で、身近にいてやはり、一番、慰めたり、理解したり、愛したりしているつもりで、実はできていないのではないかと思う、家内や娘たちの課をが走馬灯のように浮かんできました。
打ち上げの時、TR女史は「『典礼聖歌』を歌う合唱団は、たくさんあるけれども、やはり、正統派です。」とおっしゃっていましたが、わたくしが言いたいのは、「『典礼聖歌』を歌う合唱団はたくさんあるけれども典礼聖歌アンサンブルは、典礼をわかって『典礼聖歌』を歌っている
」ということです。それは、第一ステージの感想で述べたことで分かると思います。
 『典礼聖歌』は、その名の通り「典礼」あっての「聖歌」です。その、「典礼」がわかって歌っていなければ、たとえ、聴衆の中の、たったの一人であったとしても、栄光の賛歌の後に集会祈願が浮かんだり、あるいは、感謝の賛歌の後に、奉献文の司祭の動きが現れたりするはずがありません。『典礼聖歌』は決して「典礼」抜きには語れない、歌えない、祈れないものだとあらためて感じた次第です。
 というわけで、大変、すばらしい演奏会でした。皆さん本当にご苦労様でした。
 しかし、その後の、某教会でのミサが、なんともいけませんでした。
 
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by omasico | 2008-04-21 19:06 | 音楽・オルガン  

オルガン関係、今年の抱負

 
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一年の計は元旦にあり と、言ったり、今年はどんな年にしたい? と、きかれることもありますが、ま、どんな年になるか、するかは、神様が決めることなので、わたくしたちが、こうしたい、ああしたい、と考えても、必ずしもそのとおりになるものではありません。とにかく、♪ 神のみ旨を行うことは ですね。
 さて、おそくなりましたが、今年もよろしくお願いいたします去年は、このブログも、サボりにサボってしまったので、せめて、月に一回程度は、長文にチャレンジしてゆきたいと思います。まず、これが、今年の抱負の一つになりますね。
 他には、オルガン関係が二つほど。一つは、数年来、書き続けてきた、『典礼聖歌』の運指&ペダリング。基本的に歌う聖歌のほとんどは、できているのですが、まだ、詩編唱の部分の運指ができていないので、これを、仕上げたいと思っています。もちろん、こういうことは、一朝一夕に決められることではないので、毎回、これでよいか? と、問いながら、よりよいものを探してゆきたいと思っています。
 もう一つは、バッハのトリオソナタを、全6曲、せめて、間違いない程度に弾けるようになること。本当は、プレリュード&フーガ etc. にも手を付けたいのですが、なかなか、うまく行きません。もちろん、トリオソナタは、かなりの難曲ですが、それなりに、得るところも大きく、上に書いた、『典礼聖歌』の運指&ペダリングを考えるのに、かなりの参考になります。ちなみに、わたくしの使っている楽譜は、デュプレ版です。去年、行った オルガンのお披露目演奏で、やはり、演奏できるレパートリーがあるのは、よいことだと思った次第からです。ちなみに、バッハ以外の作曲家、特に、ロマン派から20世紀ものも、少しは増やしてゆきたいと思います。
 とは言え、朝のコンビニの仕事もありますし、週に1・2日は「和紙の里」も頼まれているので、そうそう、時間が取れないのが実際のところです。
 
 今年も、この、ブログ以外の、
 『今日の聖歌』
 「さえずり」
 もよろしくお願いします。
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by omasico | 2008-01-03 06:49 | omasicoプライベート  

まもなく10000アクセス

 
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 すっかりご無沙汰いたしました。このところ、副業が忙しく、なかなか、更新できませんでした。
ところで、おかげさまで、ホームページ『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』が、まもなく10000アクセスと、なります。つたない、研究ですが、ご覧いただいている皆様に、この場を借りて、篤く御礼申し上げます
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by omasico | 2007-08-06 17:29 | HP・ブログ・通信  

聖なる三が日⇒初聖体

 今朝、と言ってもまだ暗いうちですが、早朝の仕事に行くときに、大きな満月が西の空に、浮かんでしました。春分の日の後の、満月の次の日曜日が、復活祭です。そして、明日から、最後の晩さんから始まる、キリストの受難・死・復活を、三日間かけて盛大に祝う、主の過越の聖なる三日間が始まります。以前、ある神父さんが、この、聖なる三日間のことを聖なる三が日と言ったことがあり、以来、そのことを知っている仲間うちでは、このように呼んでいます。
 で、わが教会では、
  • 主の晩さんの夕べのミサ
  • 主の受難の祭儀
  • 復活徹夜祭
いずれも、19時=午後7時から行なわれます。本来、主の受難の祭儀は、主が、息を引き取られた午後3時ごろ行なうのですが、日本のように、この日が休みではなく、参加する人が少ないところでは、夕方ないし夜、行なってもよいことになっています。
 復活の主日の日中のミサには、二女が、初めてキリストの体をいただく、初聖体を迎えます。これで、一応、キリスト者としては、大人の第一歩を踏み出すことになります。

 ところで、この、三日間、四つの祭儀、すべて、オルガン担当です。2000年から司牧されてきた、神父さんが、休暇で、変わるので、日中のミサが、最後の司式となります。この、ミサの派遣の歌は、神さまと神父様に感謝の意味も込めて、賛美の賛歌を歌います。わたくしも、今年は、少し、休暇をとろうかと思っていますが、ま、無理でしょうね。休めないとなれば、相応の保障がないと、ちょっとやっていけませんね。
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by omasico | 2007-04-04 16:49 | 祈り・聖歌