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【コンビニの時給】


わたくしが今のコンビニで仕事を始めた十数年前 わたくしが務める店舗以外のほとんどどこのコンビニでも 同じ時間(5時から 早朝)は時給が900円でした。


しかし 現在ではほとんどのコンビニで時給は850円になっています(上田小県=ちいさがた)。ということは単純に見ただけでも時給は下がっている つまり 給与は下がっているということになります。


ですが わたくしが務めた当時と比べて


フライヤー(店舗で揚げ物を調理する機械)はありませんでしたし コーヒーマシンもありませんでした。またドーナッツも扱っていませんでした。この十年でこれらを扱うようになって 仕事の内容も増えているのに 時給は下がっている。ということは それ以上に給与は下がっているということになります。


ところで なんでこういうことになるなるのでしょうか。

その大きな原因は コンビニはフランチャイズだけでなはいからです。おおよそ コンビニが展開される地区ごとに 1軒か2軒 コンビニを展開する本部直営の店舗があります。それ以外のフランチャイズの店舗では 本部直営の店舗が時給を決めれば それから大幅に逸脱することは やはり本部としては好ましいことではありません。


しかし 本部はその場合「それは 各店舗を経営するオーナー様にお任せしております。」ということで責任逃れをします。ですが 上にも書いたように 本部直営の店舗が自給900円に設定した時間帯で いくら人に来てほしいからといってもフランチャイズの店舗が時給を1100円に設定すれば無言の圧力がかかるのは目に見えています。


仕事が増えても時給が下がっている。「経済で結果を出す」ことは夢のまた夢であることがここからもわかります。本当に経済で結果を出すのなら 仕事が増えたサービス業の時給を 増やさない限り実現できたとは到底いうことはできません。


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by omasico | 2017-01-28 19:55 | 四季折々  

コンビニエンスって

どこのコンビニエンスストアに行っても、店内にコーヒーマシンがおいてあり、セルフにしろ、店員さんが扱うにしても、出来立てのコーヒーがすぐに飲めて、とっても便利(コンビニエンス)です。

こういうのもなんですが、わたくしは、基本的にというか、よほどのことがない限り、このコーヒーは飲みません。というか、コンビニエンスストアを使うのは

① 銀行のATM
② トイレ


だけで、ほかのものは買わないようにしています。

なぜかというと、コンビニエンスストアで扱われているものには手間がかかっていないからです。そして、手間がかかっていないということは、逆に言えば、手抜きだからであり、さらには、心がこもっていないからです。それを実感したのは、

山崎武也『持たない贅沢』(三笠書房)の「便利というのは手抜きである。そこに残っているのは、表向きの都合のよさであって、真心のかけらもないことが多い」(同書100ページ)

という文書を読んだからです。

コンビニのコーヒーは確かに便利です。コンビニエンスストアという言葉自体がま、訳していえば「便利店」ですから。でも、カップを買って、機会にセットして、ボタンを押せば出来上がり、というのは、やはり、手抜き以外の何物でもありません。だからこそ、あれだけ安く飲むことができるのですが、その代償が「心がこもっていない」ということなのですね。どう考えても、コーヒーマシンがお客の顔を見て、気持ちや体調をおもんぱかるということは、まったくありませんからね。

ほかのものでも、例えば、揚げ物もありますが、これも、全部冷凍でお店に届いたものを、機械のバケットにセットしてボタンを押せば、時間で上げるというものですから、一つ一つの商品を手で作っているわけでもなければ、お客さんの好みを考えているわけでもありません。

それは、パン、おにぎり、お弁当、お惣菜、すべて然りです。

確かに食事は栄養がキチンと摂れさえすればいいのでしょうが、やはり、感情のある人間である以上、心のこもったものをいただきたいのが人情です。そう考えると、コンビニエンスストアで売られている出来合いのものは、本当に食事といえるのかどうかわかりかねますね。

でも、最近のラグジュアリーホテルのラウンジやレストランでも、お客のほうから見えなくても、お皿が空になったらさっと下げに来る、コーヒーカップが空になったら、お代わりを聞きに来る、というところは少ないようですね。ちょっと、残念です。
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by omasico | 2016-03-13 16:28 | 四季折々  

教皇フランシスコ(パパ様)のことば (3)

教皇フランシスコは、今年5月に出された、使徒的勧告『福音の喜び』で、次のように述べています。
「『殺してはならない』というおきてが人間の生命の価値を保証するための明確な制限を設けるように、今日においては『排他性と格差のある経済を拒否せよ』とも言わなければなりません。この経済は人を殺します。路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにはならず、株式市場で二ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならないのです。これが排他性なのです。飢えている人々がいるにもかかわらず食料が捨てられている状況を、わたしたちは許すことはできません。これが格差なのです。現代ではすべてのことが、強者が弱者を食い尽くすような競争社会と適者生存の原理のもとにあります。この結果として、人口の大部分が、仕事もなく、先の見通しも立たず、出口も見えない状態で、排除され、隅に追いやられるのです。そこでは、人間自身もまた使い捨てのできる商品同様に思われています。わたしたちは『廃棄』の文化をスタートさせ、それを奨励してさえいます。もはや単なる搾取や抑圧の現象ではない、新たなことが起きています。つまり、排他性は、わたしたちが生活する社会に帰属するという根幹の部分にまで達しているため、もはや社会の底辺へ、隅へ、権利の行使できないところへと追いやられるのではなく、社会の外へと追い出されてしまうのです。排除されるとは『搾取されること』ではなく、廃棄物、『余分なもの』とされることなのです。』(フランシスコ 『使徒的勧告 福音の喜び』 カトリック中央協議会 2014 56~57ページ)
この文書を読む限り、パパ様が警告する『廃棄の文化』は、ものばかりではなく、人に対しても行われているということです。今回は、パパ様のこの文書を提示するにとどめますが、これから、折を見て『廃棄の文化』について、考えてみたいと思っています。

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by omasico | 2014-09-07 14:59 | 全ブログ共通  

実情(1)

現代の日本で生活していて、コンビニエンスストアを利用したことがない方は、まず、おられないと思います。また、学生さんの中にも、アルバイトの経験を持つ方もおられるでしょう。

ところで、

1 スーパーマーケットの従業員

2 コンビニエンスストアの従業員

3 飲食店の従業員

この中で、仕事量と自給を総合すると、どの仕事が一番、自給が安いと思いますか。

実は、2 コンビニエンスストアの従業員なんですね。

1 スーパーマーケットの従業員は、大体、担当が決まっていて、レジの人が品出ししたり、発注担当の人が、惣菜を作ったりすることはありませんし、売り場も広いので、掃除は、関連会社の専門のかたが行います。

3 飲食店の従業員は、大体、調理と洗い場、ホールの担当が分かれており、どちらかが忙しい時には、応援に入ることはありますが、ホールの人が、刺身包丁を持ったり、フライパンをふったりすることはありません。

 しかし、コンビニの店員の仕事は膨大です。レジはもちろん、店内の掃除、トイレの掃除、ゴミ箱の清掃、商品到着後の検品(品物がきちんと届いているかチェックする)、品出し、廃棄商品の確認撤去、品物の補充、店内調理品の調理(おでん、中華まん、揚げ物、コーヒー)、これらの器具の掃除、商品の発注、このほかにも、店舗へかかってきた電話の対応(利用客、各コンビニの本部から等々)、宅配便などの受付・・・・・。

 これらの業務を、店によっても異なりますが、最低の場合は、2人で行わなければなりません。

 これらの業務のうち、例えば、商品の配送は、大体、時間が決まっているものの、店舗の都合で配送されるわけではなく、すべて、配送する会社の都合で配送されます。器具の清掃は、利用客の少ない時間、あるいは、従業員がそろっているときで、他の業務、検品や発注に重ならない時間に行わなければなりません。ゴミ箱の清掃も、ゴミ箱がいっぱいになったからといって、すぐに行えるわけではありません。会計のお客さんが並んでいれば、そちらを優先させなければなりません。

 さらに、コンビニエンスストアでは、時期によって特別の注文を取ったり(お歳暮、お中元、丑の日のウナギなどなど)、特定商品の値引きセールや、アニメーション作品などとタイアップしたくじ引き、おなじく、店内販売の商品が当たるくじ引きなど、本部の決めたスケジュールをこなさなければなりませんが、これらを行うのに、特別に本部の社員が派遣されるわけではなく、普段の従業員で対応しなければなりません。普段以上の労力が必要とされるときはもちろん、店舗によりことなりますが、地域のイベントや行楽シーズンで忙しい時にも、普段通りの従業員でまかなわなければ、なりません。

 こういう、状況で、たとえ、店舗や本部で売り上げが大きく向上したからと言って、コンビニの現場の従業員に、ボーナスとか大入りの賞与があるわけでもなく、従業員は、たとえ、仕事が多くなっても、給与は普段と変わらないのが現状です。これは、この数年のコンビニエンスストアの商品の扱いを見るとわかるのですが、この、数年、店内調理の商品やコーヒーマシンの導入など、利用客にとっては、うれしいサービスが増えたと思いますが、現場の従業員は、どんどん仕事が増えているにも関わらず、ほとんど給与が上がっていないのが実情といえるでしょう。

 4月の消費税増税以降、不況が続く中、コンビニだけが一人勝ちしていると、経済紙のサイトでは、よく、報じられますが、その背景には、現場の従業員の作業は増えるにも関わらず、給与が据え置かれているという実態があることを知っておいてほしいと思います。

 


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by omasico | 2014-09-04 13:47 | 全ブログ共通  

戦時中の話(2)

前回、このタイトルでは、戦時中でも、庶民には手の届かないものでも、あるところには、あることを書きました。今回は、反対に、あっても、それが、現代では思いもよらないことであることを書いてみたいと思います。
東日本大震災をはじめ、今月の、広島の土石流災害、水害など、まず、被害に見舞われた皆様に、お悔やみとお見舞いを申し上げます。現代の日本では、このような、災害の時には、国内はじめ、海外からも援助の手が差し伸べられ、食料だけは、遅くても数日中のうちには、ほとんどの方に届けられます。また、かなり、深刻な災害でも、おおよそ、ひと月すれば、毎日、同じものだけを食べている、ということは、ないように、思うのですが、いかがでしょうか。
ところが、戦時中はそういうわけにはいかなかったようです。米などのいわゆる、主食となる原料は、戦地に優先的に送られるか、前回お話したようなところで、消費されます。もちろん、昭和18年以降になると、戦地に送られた米も、輸送船がアメリカの潜水艦の標的となり、ほとんどが海の藻屑と消えてしまいました。
内地では、特に、都市部では、食料が不足してきますので、何日に、一度か、配給が行われました。この、配給制度、今では、おそらく考えられないと思いますが、まず、家族の人数によって、配給の量が決まってきます。それも、すべて、一人どれくらいと、一律です。だれは、こういうものが食べられないとか、アレルギーがあるなんてことは、まったく考えられていません。食べられないほうが悪い、という理論です。
 次に、配給される食品は、ある日は、米、その次は、大豆、など、一回の配給で、決まったものしか配られません。ですから、前の配給で配られたものを食べてしまっていれば、というより、配給は毎日のようにあるわけではありませんから、すでに食べてしまっている場合がほとんどですから、配給で配られた食品以外食べるすべがありません。つまり、次の配給まで、手元に、他の食料品がなければ、大豆を食べて、飢えをしのぐしかなかったわけです。
 同じことは、父から聞いた話なのですが、これは、戦時中ではないのですが、漁師の網元の家でも同じだったようで、イカが取れたときには、おかずは、毎日、イカ。ニシンが取れたら、毎日、ニシンだったそうです。
 現代では、よほどのことがない限り、二週間、毎日、食パンとサバ缶だけ、ということは、ないと思ます。
 戦時中の話しというと、ついつい、戦場体験や空襲体験が多くなりますが、こういった、庶民の普段の生活も、不自由を強いられたことも、伝えてゆきたいものです。

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by omasico | 2014-08-28 09:12 | 歴史と宗教  

なかにし礼さん、平和の申し子たちへ

なかにし礼さんの「平和の申し子たちへ」を聞きました。
詩で、朗読だけで、伝えるよりも、音楽として、歌曲、合唱曲として、伝えてゆくほうが、もっと、インパクトがあります。
作曲家の皆さん。
特に、ここで、訴えます。
松下耕君、栗山英樹君、同級生として。
ぜひとも、この詩に、曲を付けてください。
わたしたちの子供たちが、殺されることより、人を殺すことがないように。
世界の人たちが、殺しあうことがないように。
殺し合いではなく、話し合いで、平和の道を探ることができるように。

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by omasico | 2014-08-19 21:19 | 全ブログ共通  

パパ様のことば(2)

あるサイトに、某牛丼チェーン店の過労働の問題の記事がありました。それには、結局、働いているのが「人間であることを忘れていた」ということが、原因の一つになっていたのだということが書かれていました。
これは、常々、パパ様=教皇フランシスコが訴えていたことにほかなりません。パパ様がおっしゃるには、人間が大切にされる社会、人間の尊厳が守られることが、現代社会では軽視されていることを、危惧しておられます。
某牛丼チェーン店の問題は、この会社の問題だけではないと思います。確かに、お客さんも大切ですし、会社の経営も大切でしょう。しかし、そこで働いている、従業員はどうなのでしょうか。
コンビニの標語などでも、お客さんや商品を大切にすることは、うるさいほど書かれています。しかし、本部や本部の社員から、従業員が大切ですから、とか、従業員へのねぎらいの姿勢は、ほとんど感じられません。
お客さん、会社、従業員、これが、店舗にとっての三位一体ではないかと思います。いくら、お客さんに人気があっても、会社の経営が安定していても、三本柱の一つ、現場の従業員がいなければ、お店は、成り立ちません。
某牛丼チェーン店の事件は、会社の常識は社会の非常識であったのですが、これは、日本の常識は世界の非常識にもつながりますし、現代人の常識は神の国の非常識である部分があることをわきまえておく、これが、パパ様の忠告の原点にあると思います。

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by omasico | 2014-08-19 09:29 | 全ブログ共通  

戦時中の話(1)

明日は、聖母の被昇天、そして、終戦の玉音放送が流れた日です。
そこで、86歳の母が、時々してくれる話を皆さんにお伝えしたいと思います。
日中戦争中から、戦地の兵隊さんに、内地から慰問袋が送られました。中には、戦地で苦労しておられる兵隊さんへの感謝の贈り物や、手紙も添えられました。たいてい、手紙の返事が来ても、それが、続くことはなかったようですが、たまたま、母が送った慰問袋を受け取った方と母は、それ以来、文通が続きます。その方は、下士官だったのですが、大変優秀な方で、なんと、陸軍士官学校で教官に任命され、内地に戻ってこられました。
士官学校もそうですが、内地の兵舎には、酒保と呼ばれる、ま、今でいえば社内食堂と売店が一緒になったような、ところがありました。戦争中ですから、「贅沢は敵だ」「ほしがりません、勝つまでは」といった標語が街頭にあふれていた時代なのですが、その方は、ある時、酒保から、母の家に、羊羹を持ってきてくださったそうです。
その羊羹は、今でも、普通の和菓子屋さんでもお目にかかれないような、端には、砂糖が結晶になったように固まった羊羹だったそうです。
それ以外にも、一般の家では、電気は使用限度があったのですが、職業軍人の、特に、高級将校の家では、そういうことはなく、電気も存分に使えたとか。
これ以上のことは書きませんが、これが、戦争中の現実だということです。
ちなみに、日本では、8月15日が終戦記念日となっていますが、連合国では、ミズーリー号艦上で、調印式がなされた日が、戦争の終わりとされています。この、違いをどのようにとらえるのかは、また、別の機会に記したいと思います。

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by omasico | 2014-08-14 22:03 | 歴史と宗教  

教皇、フランシスコのことば(1)

聖ヨハネ・パウロ二世の宣言と共に、現教皇フランシスコの次のことばは、人類にとって、最も貴重な忠告となるはずです。

 「戦争をやめてください! もうやめてください! 私は特に子どもたちのことを思います。まともな人生や未来への希望を断たれ、死んでしまった子どもたち、傷を負った子どもたち、体を切断された子どもたち、親を失った子どもたち、戦争の不発弾をおもちゃにしている子どもたち、ほほ笑むことを知らない子どもたち。もうやめてください! 私は心の底から皆さんにお願いします。今こそ戦争をやめる時です!」
 「私たちは思い起こしましょう。戦争で全ては失われますが、平和で失われるものは何もないのです」

〈以上、「カトリック新聞」2014年8月10日号より〉

...

 戦争をする人、戦争に必要な武器を作る人たちは、きっと、≪何かのために≫戦争をし、武器を作るのだろう。
 しかし、戦争をやめ、平和を求める人は、《誰かのために》、戦争をやめようとし、平和を求めるのだと思う。


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by omasico | 2014-08-10 18:27 | 歴史と宗教  

濱尾文郎枢機卿帰天

皆様、すでに、ご存知のことと思いますが、前横浜教区長で枢機卿の、濱尾文郎司教が8日帰天されました。M
 わたくしも、入門式を司式していただいたりして、大変、お世話になりました。今は、神の前で、大いなる喜びのうちに、過ごされていると思います。
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by omasico | 2007-11-10 18:20 | 交友・親類