熱中症対策?


わたくしは早朝5時からの勤務のために3時半に起きて4時くらいから朝食をいただきますが朝起きてまず白湯を一杯。朝食時にバターとラードと生クリームを入れたコーヒーを三杯飲んで4時半少し前に出かけます。

17時過ぎまで勤務の時は途中1時間の休憩をとりますが早いときで11時半過ぎから遅いとき(だいたいが水曜日)は12時20分から休憩に入り水場に行ってお弁当に持参したチーズバターラード(場合によっては卵1個)をいただいてからコップ二杯くらいの生水を飲みます。
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出かける時間が4時半前ですからだいたい4時20分には食べ終わるもちろんコーヒーも飲み終わっていますので水曜日では8時間全く飲まず食わずで仕事をしています。ですがその間「何か飲みたい」とか「のどが渇いた」ということは一切ありません。
 
お昼の後も特にのどが渇いて飲みたいというより半分は口を漱ぐため。その後17時過ぎまで仕事をして帰宅するのが18時くらい。それから入浴して夕食をとるのがだいたい18時半くらいでしょうか。休憩後もそれまで一切水分はとりません。

コンビニの仕事もただレギスターの前でじっとしているわけではなく12時間勤務の時は6時9時13時17時の四回ゴミ箱の片づけをしますし水曜日は雨天でなければ冷蔵庫や冷凍庫などのフィルターの掃除をしますがこれらはすべて屋外で行います。それ以外に屋内でも検品や商品の補充などに歩き回ります。
ちなみに9時から出勤してくるほかのパートさんたちはだいたい出勤後30分くらいから持参したマイボトルなどで水分を補給しています。

こういう状況ですが今まで本当に「のどが渇いた」という欲求が出てきたことはありませんしふらふらしたりもちろん倒れたことはありません。屋内で仕事をしているというだけではなく一緒に働いているパートさんたちとの違いを考えるとやはり糖質オフしか原因は考えられません。

糖質オフにはさまざまな利点がありますが熱中症対策にも効果があるようです(糖質オフが禁忌な方は別ですから)。
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# by omasico | 2016-07-05 19:32 | 健康  

久しぶりに料理

今日は、新しい主任司祭の最初のミサでした(でも、初ミサとは言いません)。ミサが11時からだったので、その前に、明日今年度最初の授業を行う神学院へのお土産を買いに近くのスーパーへ。そのあと、ミサに出かけ、ミサ後は新司祭の歓迎会の茶話会。その後、教会近くのスーパーで買い物をしたので、家内がかなり疲れてしまいました。

というわけで、今晩の夕食はわたくしがボランティアで料理。

e0031331_19562084.jpgレタスの上に、ニンジンを細かく刻んだ卵サラダ、味付けはマヨネーズのみ。そこに、ちぎったスライスチーズとアーモンドスライスをのせたもの。
e0031331_19563422.jpg明日のお弁当を兼ねた鳥の胸肉のクリーム煮。賞味期限がかなり切れた生クリームはかなり固まっていたので、牛乳をプラス。
e0031331_19564721.jpg残っていたボローニャハムと玉ねぎ、きゃぺつのスープ。味付けは手を抜いて、市販のわかめスープにしょうゆを少々。


久しぶりに、3品も作ってしまいました。ま、家内も娘たちもいただいてくれたのでありがたかったです。もう少し手の込んだ料理をすればよかったのですが、とっさのことだったので、この程度でした。週に一回くらいは料理をするのもいいかもしれません。

ちなみに、これくらいなら、穀物がないので、糖質もかなり低いです。きちんと、MEC=肉、卵、チーズにしたところもみそですよ。
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# by omasico | 2016-04-03 20:10 | グルメ・御酒  

コンビニエンスって

どこのコンビニエンスストアに行っても、店内にコーヒーマシンがおいてあり、セルフにしろ、店員さんが扱うにしても、出来立てのコーヒーがすぐに飲めて、とっても便利(コンビニエンス)です。

こういうのもなんですが、わたくしは、基本的にというか、よほどのことがない限り、このコーヒーは飲みません。というか、コンビニエンスストアを使うのは

① 銀行のATM
② トイレ


だけで、ほかのものは買わないようにしています。

なぜかというと、コンビニエンスストアで扱われているものには手間がかかっていないからです。そして、手間がかかっていないということは、逆に言えば、手抜きだからであり、さらには、心がこもっていないからです。それを実感したのは、

山崎武也『持たない贅沢』(三笠書房)の「便利というのは手抜きである。そこに残っているのは、表向きの都合のよさであって、真心のかけらもないことが多い」(同書100ページ)

という文書を読んだからです。

コンビニのコーヒーは確かに便利です。コンビニエンスストアという言葉自体がま、訳していえば「便利店」ですから。でも、カップを買って、機会にセットして、ボタンを押せば出来上がり、というのは、やはり、手抜き以外の何物でもありません。だからこそ、あれだけ安く飲むことができるのですが、その代償が「心がこもっていない」ということなのですね。どう考えても、コーヒーマシンがお客の顔を見て、気持ちや体調をおもんぱかるということは、まったくありませんからね。

ほかのものでも、例えば、揚げ物もありますが、これも、全部冷凍でお店に届いたものを、機械のバケットにセットしてボタンを押せば、時間で上げるというものですから、一つ一つの商品を手で作っているわけでもなければ、お客さんの好みを考えているわけでもありません。

それは、パン、おにぎり、お弁当、お惣菜、すべて然りです。

確かに食事は栄養がキチンと摂れさえすればいいのでしょうが、やはり、感情のある人間である以上、心のこもったものをいただきたいのが人情です。そう考えると、コンビニエンスストアで売られている出来合いのものは、本当に食事といえるのかどうかわかりかねますね。

でも、最近のラグジュアリーホテルのラウンジやレストランでも、お客のほうから見えなくても、お皿が空になったらさっと下げに来る、コーヒーカップが空になったら、お代わりを聞きに来る、というところは少ないようですね。ちょっと、残念です。
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# by omasico | 2016-03-13 16:28 | 四季折々  

復活祭と春の到来

今日は、それほど、硬い話題ではありません。

今年の復活祭(イースター)は3月27日の日曜日。
復活祭の日取りは、
春分の日の後の満月の次の日曜日
という決まりですから、今年の場合、春分の日=3月20日の後の満月が3月23日なので、その次の日曜日である27日が復活祭ということになります。

これは、ニケア公会議=起源325年に決められたといわれています。詳しいことはここでは触れませんが、興味のある方は Wikipedia などを調べてください。

で、毎年思うのは、なぜか、復活祭の到来と春、花の到来が一致していることです。今年のように、3月中に復活祭があると、どういうわけか、春の訪れ=花の開花が早く、逆に、復活祭が遅いと、花の開花も遅いんですね。記録を調べたわけではないのですが、何となくそう感じています。

ということで、上田市ではすでに、梅が花を咲かせています。
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# by omasico | 2016-03-08 12:09 | 四季折々  

閏年、閏日のはなし

今日は、2月29日、四年に一度=正確に言うと400年に97回の閏日です。昨日も書きましたが、何故、年末の12月に閏日が来ないのかですが、現在の暦月は古代ローマの暦から生まれていますが、古代ローマ暦は農耕のために作られました。なので、農耕が行われない、現在の1月と2月は暦月を数えず、名前も付けられていなかったのですが、それでは、1年を通して数えるのが不便なので、のちに、現在の1月と2月が加えられたのです。ですから、当初、ローマの暦は現在の3月から始まり、2月で終わっていたので、暦年の最後の日に閏日を加えるようになり、その習慣が今でも残っているというわけです。

現在、世界で共通に使われている暦の正式名称は「グレゴリオ暦」とい、1582年に当時のローマ司教(教皇、法王)グレゴリオ13世がそれまで使われていたユリウス暦を改訂して制定しました。ユリウス暦はローマ皇帝のユリウス(ジュリアス・シーザー)が紀元前45年に制定し「4年ごとに閏年を置き、2月の最後に閏日を加える」ものでしたが、地球の公転周期が1太陽年に対し、毎年、約11分15秒ほど長いことから、数年間は良いものの、数百年あるいは千年単位になると、日になるくらいの誤差になってしまうことから、当時のローマ司教(教皇、法王)が改訂を命じました。なぜ、改訂が必要になったかと言うと、誤差によって、キリスト教の一番大切な祭日である復活祭の日取りが変わってしまうからです。

「グレゴリオ暦」はそれまでのユリウス暦が「4年に一度」閏年を設けていたのに対し、地球の公転周期との誤差をできる限り少なくするために

暦年の下二桁が4で割れる年を閏年とするが、暦年が100で割り切れる年は閏年としない。ただし400で割り切れる年は閏年とする。


という規定になっています。ですから、20世紀の最後の年となった2000年は、この規定で言うと、本来は閏年にならないはずだった100で割り切れる年だったのですが、400で割り切れることから閏年となったわけで、「グレゴリオ暦」が制定されて、1600年の次に、この細かな規定が適応された閏年(例外の例外)となりました。

さて、このように、現在使われている暦の起源は、実は農耕の開始とともにあったことがわかります。農耕をするには種をまく時期が肝心ですから、その時期を決める必要があったことから暦が始まったと言えるでしょう。人類はおそらく、農耕を始める前の狩猟採集時代には、このような暦を使っていなかったかもしれません。暦を使うようになって、次第に時間に縛られるようになったのでしょう。事実、現在でも狩猟採集で生活をしている人たちや農耕を開始する以前の人々は、一日の労働時間は数時間でよかったことがわかっています。農耕は人類に何をもたらしたのか、考えてみる必要もありそうです。
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# by omasico | 2016-02-29 13:16 | 歴史と宗教