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♪ 聖歌のメンテナンス ♪

 先日、ある、有名な教会でのミサに参加しました。そこの教会は、おそらく、その県内でも一般にも有名な教会だと思います。しか~し!そのミサで、信じられない体験をしたのです。
 その、信じられない体験は何かと言うと、わたくしが、ホームページ『今日の聖歌』で、
これは祈りにはならないので、絶対にやってはならないことです!
と言っていることが、ほとんどすべて行われていたことです。

 その顕著なものは、なんと言っても答唱詩編ま、答唱詩編を先唱者が朗読台から先唱しているのはいいのですが、
  1. オルガンが前奏をきちんと歌うように音を刻んでいない
  2. テンポが遅すぎる
  3. 詩編唱とオルガンの入るところがあっていない:八分音符3拍分くらい先唱が遅い
  4. 詩編唱のことばをぶつぶつ切っている
  5. もちろん、詩編から答唱句へ戻るのも遅い
という具合です。
 そのほかに、「連願」もあったのですが「主よ、あわれみたまえ」というところも、
「主よーー*あわれみたまえ」=最初の「主よ」を必要以上にのばして、後ろの「あわれみたまえ」を機関銃のように歌う=と歌っていました。
 とにかく、先唱は答唱詩編「連願」もリタルダントは全くなし!これでは、全く、祈りはおろか、歌にもなっていなかったとしか言いようがありませんでした。
 こんな歌い方では、オルガンと聖歌隊で「わたしたちがひどい歌い方をするので『典礼聖歌』は嫌いになって歌わないでください」と言っているようなものでした。
 
 では、なぜこんなことになってしまったのか?といろいろと考えたのですが、結局、
歌詞が日本語なので、歌えていると思い込んでおり、聖歌について、祈りとしてのメンテナンスが行われていない
という結論に達しました。つまり、車で言えば、車検や整備を受けていないので、ファンベルトのゴムが劣化し、ボルトが金属疲労を起こしているのですが、車体がきれいなので、中の劣化に気がついていない状態でいるのと同じなのです。
 他の教会でも、「主の祈り」の息継ぎ「」と八分休符が同じように歌われていたところもありました。

 このような状態を放置しておくと、ミサの祈りがマンネリ化し、最終的には、共同体自体に活気がなくなってくるのは確実です。
 今までの経験からも、
祈りとしての聖歌が、よい状態になればなるほど、ミサに参加する会衆も増えてきますし、共同体自体にも活気が出てきます。

 
 聖歌はミサの飾りではなく、祈り・式文=ミサそのものです。また、そこで歌われる『聖書』のことばによって、わたしたちを生かしてくれる生歌でもありますが、また、わたしたちがそれを生かしはぐくんで行く生歌でもあるのです。

 皆さんの共同体も、メンテナンスが必要かどうか、一度検証してみてください。

検証の基準
  1. オルガンの前奏と会衆の歌のテンポが極端に異なる
  2. 詩編唱の最初が、オルガンと先唱者とでずれている(オルガンが早く出る)
  3. 原則として一続きで歌わなければならない詩編唱を、字間があいているところで、ぶつぶつ切って歌っている
  4. アレルヤ唱のアレルヤが一回ずつ切れたり間延びしている
  5. 「さぃ」や「ます」を「さいー」「ますー」と、最後を長く歌っている
  6. 曲や文の終わりがていねいに終わっていない=リタルダントしていない
  7. 答唱詩編以外で詩編の歌をうたうとき、詩編はいつも1と2だけ歌っている
  8. 奉献文の栄唱で、司祭の先唱と会衆の応唱のテンポが極端に異なる
  9. 「主の祈り」の息継ぎ「」と八分休符を同じように歌っている
  10. 最近3年以上、聖歌の研修会・黙想会を行っていない
いかがですか?これらのうち、
1つでも該当するものがあれば、要注意!
3つ以上あれば、危険信号!!
5つ以上はすぐにメンテナンスが必要!!!です。
 
 
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by omasico | 2006-03-27 20:08 | 祈り・聖歌  

∮ いよいよ卒園 ♪

 17日は、いよいよ、幼稚園の卒園式 二女も、卒園し、4月からは小学生となります。長女の時から通算すると、4年間お世話になった、教会の隣幼稚園とも、お別れとなります。
 ま、正直に言って、縁が切れるというのが実感です。何しろ、この4年間、典礼委員長もやっていたので、何かというと、あれこれ聞かれたり、頼まれたりと、教会&幼稚園の雑用係といった感じでしたから。
 それと、言っては何ですが、先生も信者の先生は多くなく(といっても先生自体も主任司祭の園長先生を除くと5人しかいません)、その、信者の先生も、普段ミサにはほとんど来ない!のですから、教会の実情もよく分かっていないから致し方ないと言えばそうなのですが。ま、こんなことを書くと、驚く信徒の方もおられると思いますが、多くの、カトリック系の教育機関の現状かもしれません。

 というわけで、ようやく、わたしたち夫婦も幼稚園との縁が切れるわけですが、木曜日の聖歌練習にはほとんど毎週来ますので、全く縁が切れるわけでもないのですが。
 それにしても、このところの少子化で、幼稚園の存続もかかっていますので、もう少し教会との連携も考えて、何とか、現在の危機的状況を挽回してもらいたいものです。2013年には、教会100周年幼稚園50周年を迎えるので、それまでは、何とか続いてほしいと思います。

 それにしても、この4年間で、一番ショックを受けたのは、若いお父さん・お母さんが多いということです。何しろ、20代の人もいるのには、ため息が出てきましたからね。
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by omasico | 2006-03-15 17:49 | omasicoプライベート  

♪バス旅 雑感◆

 先日、12日の草加教会の聖歌練習と講話に出かけるとき、10年ぶりで、上田-池袋の☆高速バスを使いました。普段、東京への往復は新幹線を使いますが、今回は、幸いにも時間に余裕のあったことと、何よりも、交通費込みということで、交通費節約ということもあり、バスでの往復となった次第です。

 さて、普段は長野新幹線東海道新幹線よりも、シートピッチが狭くて窮屈だ!などと、文句を言っていますが、☆高速バスは、シートピッチは狭いわ、シートの幅も窮屈だ、で、長野新幹線の比ではないことが分かりました。時間は倍かかりますが、料金は長野新幹線の半分ですから、若い人が利用するのももっともだなことだと思います。11日に往路、12日の復路ともに、やはり若い人、特に女性の利用が多かったですね。

 で、肝心のバスのほうですが、往路・復路ともに、軽井沢に営業所がある、西武高原バスでした。最近の☆高速バスは全席禁煙、リクライニングシート、フットレスト、レッグレスト完備で、この点は、新幹線よりも充実していますね。ただ、いかんせん、狭いのと、車内を自由に歩けないのはいたし方ありません。
 もう一つ、これも、どうにもならないのがで、往きは、練馬の手前、外環道との分岐点あたりから、渋滞が始まり、30分遅れで池袋に着きました。

 今回、乗っていていくつか気がついたことがありました。まず第一は、
☆高速バスは、やはり、ETCを搭載していて、料金所もスムースに通り抜けてゆきます。ま、当たり前といえば当たり前ですが。これで、割引率もよいのでしょうか?
もう一つは、
☆高速バスも路線バスですから、停留所を通らないことは許されません。たとえ、高速道路のバス停で乗降客がいなくても、本線を外れて、バス停の前をゆっくりと通過します。
それにしても、今回一番気になったことは、
ダイヤに余裕がない
ことでした。上田や池袋など、乗車客が多いところでも、わずかな時間で発車するようなダイヤの設定になっているのは、どうも、気がかりです。ま、☆高速バスは遅れてもなんぼ、というところもありますが、先般の、福知山線の例もありますし、やはり、ダイヤにもう少しゆとりを持たせたほうがよいのではないかな~?と思った次第です。

 ところで、次回はいつ使おうかと思いますが、しばらくは新幹線になりそうです。
 
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by omasico | 2006-03-13 13:43 | 旅行・鉄道・趣味  

♪☆恋の歌⇒◆讃美歌♪

 教会の暦は、復活祭への準備期間である四旬節に入りました。教会では、このように、特別な時期を季節と呼んでいます。
  • 降誕祭=いわゆるクリスマス=の準備の期間は待降節
  • 降誕祭から公現祭・主の洗礼まで=クリスマス=のお祝いの期間が降誕節
  • 復活祭への準備期間が四旬節
  • 復活祭から聖霊降臨まで、復活祭のお祝いの期間が復活節
と呼ばれています。これらの期間は、日曜日が基準となって決まることや、特に、四旬節復活節復活祭の日取りによって毎年移動することから、月日が決まっているわけではありません。

 さて、これらの季節には、教会でも、その季節で特徴のある聖歌・讃美歌が歌われます。四旬節のこの時期、よく歌われるものの一つが、
"O Haupt voll Bult und Wunden"
『讃美歌21』では「血しおしたたる」(『カトリック聖歌集』では「いばらのかむり」)
ではないかと思います。

 この曲は、もともと、Hans Leo Hassler 作曲の「わたしの心はなぜ乱れ悩むのか?」という恋の悩みを歌った歌でした。そこに、最初は別の会衆讃美歌としての詩が付けられましたが、さらに、Paul Gerhardtによって、現在の詩が付けられたのです。実は、ルター派の教会のコラール(会衆讃美歌)の半数以上は、民衆がよく知っていたドイツの民謡など、いわゆる世俗の歌に宗教的な歌詞をつけたもので、このようなものをコントラファクトゥムと呼んでいます。ドイツ語で言うと、かっこよく聞こえますが、日本語で平たく言えば替え歌です。
 ルター派教会の創設者、マルティン・ルターは、その当時、教会の教役者中心だった、礼拝の中の聖歌を会衆のものとするために、ドイツ語のコラール(それまで「コラール」というとグレゴリオ聖歌をさしていた)を作り、これを、会衆の説教と位置づけました。そのため、新しい旋律を作るより、会衆になじみのある旋律に、宗教的な詩を当てはめ歌うようにしたのです。日本ならさしずめ、「ソーラン節」・「ふるさと」・「矢切の渡し」に宗教詩をつけたり、聖書の歌詞を当てはめたものと考えるとよいでしょう。
 さすがに、カトリック教会では、世俗の旋律を教会にそのまま取り入れることには、大変慎重な姿勢を示していますので、まずできませんが、プロテスタント教会はその点、かなり自由ですので、次の、新しい『讃美歌』募集のときにはチャレンジしてみたらよいかもしれません。

 で、最後に一言!
 わたくしは、やはり、こういう方法には、賛成できかねますので、
替え歌"O Haupt voll Bult und Wunden"
『讃美歌21』では「血しおしたたる」(『カトリック聖歌集』では「いばらのかむり」)
を歌うのは、どうも抵抗があります。
 もちろん、日本語に合う旋律をつけるのなら、別ですが!!!

【参考文献】
日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21略解』(日本基督教団出版局 1998 )


この記事は、『年代記』と『喜びと希望』共通です
 
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by omasico | 2006-03-07 07:08 | 祈り・聖歌  

見なくなりましたね!公衆電話!

 昨日のことですが、長女のお友達の家へ行くために、車で町へ降りて行きました。国道をかなり下ってからですが、携帯電話を忘れたことに気づきました。で、そのお宅で電話を借りようかと思ったのですが、やはり、少々気が引けて、そのまま、次の目的地である町役場へと車を走らせました。途中で、公衆電話があれば、そこから、自宅へ電話をかけようと思い、ゆっくりと車を走らせ、以前公衆電話があった場所を探しましたが、すべて撤去されていたのです。最近は、携帯電話全盛で、大人も子どもも持っているというご時世ですから、公衆電話がないのも分かりますが、ここまで、きているかと思うと、驚きでした。

 さすがに、まだまだ、自宅や会社などでは、回線電話が幅を利かせていて、いろいろな申込書などでは、回線電話の番号の記入を要求しているところもあります。しかし、最近は回線電話も加入権が不要になっていますし、携帯電話しかもっていない人も増えているようです。
 さらに、最近は第三世代携帯電話で、動画の送配信、デジタル画像の送信、買い物の決済など、さまざまなことが、できるようになっています。いづれ、近いうちに、ファクシミリを携帯電話で受信して、自宅の端末のパソコンで印刷できるという時代が来るでしょう。
 しかし、バッテリーがあがったり、携帯電話自体の故障で携帯電話が使えないという状況も出てきます。そのようなときに、町の中に、全く公衆電話がない、というのも困るような気がするのは、わたくし一人だけでしょうか?
 いろいろと事情があるのは、分かりますが、比較的人家が密集しているところや、街中などには、せめて、数平方キロメートルに1台でよいので、公衆電話を設置しておいていただきたいと思います。

 携帯電話が主流となるようなら、もっと進んでいってほしいことは、人口密集地や市街地以外でも、満遍なく十分に電波が届くように、整備していってほしいと思います。
 これは、インターネットでも同じことで、都会を離れるほど、基地局が少なく、基地局からの距離が遠くなり、速度が落ちたり、IP電話が使えないということが日常茶飯事だからです。近頃宣伝盛んな、何とかも、地方に行くにしたがって、普及状況が悪くなっています。投資した資本の回収に時間がかかるなど、いろいろ、理由はあると思いますが、なるべく早く、このような状況が改善されるようにと願うものです。
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by omasico | 2006-03-01 18:22 | HP・ブログ