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年賀状

 来年の話をすると鬼が笑うなんて言いますが、明日は、もう元日ですから、ま、鬼も笑うことはないでしょう。
 このところ郵便局では、年賀状を12月24日までに、50枚以上出すと、豪華商品が抽選で当たる、キャンペーン元日に配達するには、12月24日までにお出しください、とやっています。ま、最近は、E-MAILのおかげで年賀状の取り扱いも減っていて、ドル箱の年賀状が減少するのは、財政的にも厳しいので、このようなキャンペーンを張っているのでしょうが、年賀状元日配達というのも、いつから強迫観念になったのかも不思議です。

 もともと、年頭のあいさつは、近所や、近くに住む親類の家へ、正月7日までの松の内に伺っていたものです。わたくしも子どもの頃住んでいた、同じ23区内に住む、母方のおばの家へ、年始に行ったことを覚えています。昔は、親戚も、それほど遠くないところに住んでいたのが普通ですから、大概は、年始まわりで済んでしまったわけです。商売をしていた家も、大きな問屋などの商家は別でしたでしょうが、小さな商いを行っているところは、それほど遠方との付き合いもないわけですから、こちらも、年始まわりで十分なわけです。
 で、このような、近くのお年始に行けない、遠くの親類や、商売で、遠隔地での取引をしているところに、年頭のあいさつとして年賀状を送ったわけです。

 といっても、年賀状も、現在のように元日に配達というわけには行きませんでした。だいたい、昭和の中ごろまでは、現在のように、交通も発達していませんでしたから、年賀状もいつ着くという確証はありませんでした。江戸時代などは、飛脚でしたから、なおさらです。さらに、年賀状年頭のあいさつですから、年が明けてから書いたのが常識です。それも、元日から書いたわけではありません。まず、元日は、お年取りの行事がありますから、筆はほとんど取りません。現在でも、書道ではそうですが、二日に書初めを行い、それから、一般の書き物をしたわけですから、年賀状もそのあとに書いたと言えるわけです。

 というわけで、わたくしの場合、正月7日までの松の内に会える人には、年賀状は書きません。年賀状も二日を過ぎてから書きたいのですが、受け取るほうも、元日配達期待しているでしょうから、なるべく早く出そうとは思いますが、「さえずり」(←リンク)にも書きましたが、何しろ102歳の祖母がおり、いつみまかっても、おかしくないので、この数年は、大丈夫になってから、書くことになっています。さらに、この正月は、1日に、9時のミサで、オルガンを弾いて、その足で6日まで、家内の実家に行きますので、もしかしたら、帰ってくるまで年賀状見られないかもしれません。送っていただいた方には申し訳ありませんが、ご了承ください。
 で、この『年代記』をはじめ、各ブログも更新ができそうにありませんしメールのチェックもできないかもしれませんが、あしからずご了承ください。
 というわけで、皆さん
よいお年を!
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by omasico | 2005-12-31 09:50 | 四季折々  

終わりの始まり

 いよいよ、主の降誕の祭日も終わりです。日本では、今日を境に、クリスマスの飾りつけは一掃され、アットいう間にお正月モードに様変わりします。が、本当のクリスマス・シーズンはこれからで、クリスマスの飾りつけは、主の公現の祭日まで飾られます。また、クリスマスシーズンである主の洗礼の祭日(今年は1月9日)まで続きます。

 ところで、クリスマス聖歌・讃美歌というと、いわゆる「クリスマス・キャロル」が定番で、ミサや礼拝では、ほとんど、欧米原産の聖歌・讃美歌が歌われますが、わが教会では、一風変わった、聖歌を歌っています。
【入祭の歌】305「やみに住む民は光を見た」
 この歌は「降誕節の入祭の歌」とされています。ここで歌われる歌詞は
① 主のj降誕夜半のミサの、聖書朗読から
② 答唱詩編で歌わる詩編96の、答唱詩編では歌われない節から
とられています。主の降誕の祭日主の公現の祭日はこれを入祭に歌います。
【奉納の歌】
 主の降誕の祭日の奉納の歌は、神の民に祝福を祈る詩編67が用いられる55「神の み旨を行うことは」(夜半のミサ)131「主をたたえよう」(日中のミサ)です。これは、神の母聖マリアの祭日の答唱詩編としても歌われるもので、降誕節にふさわしい詩編です。
【会食の歌】
 会食(拝領)の歌は、最初に、「栄光の回復」の預言であるイザヤ37を歌う165「喜びに心をはずませ」のあと
夜半のミサ=カ111しずけき(聖しこの夜)
日中のミサ=カ531 "Adeste fideles"
としました。普段、この二曲は、派遣(閉祭)の歌にしているのですが、今年は、25日が主日(日曜日)なので、ここに入れました。
【派遣(閉祭)の歌】
 夜半のミサはラテン語でも"Alma redemptoris Mater"として有名な372救い主を育てた母夜半のミサは、徹夜にあたりますが、この歌は、伝統的に待降節から2月2日の主の奉献の祝日まで歌われるので、夜半のミサの派遣(閉祭)の歌としました。
 日中のミサの派遣(閉祭)の歌は367賛美の賛歌(テ・デウム)としました。というのも、年内の主日(日曜日)はこの日が最後なので、一年間の感謝を込めて歌うことにしました。わが、横浜教区の司教座聖堂で12月26日に行われる"Te Deum"(感謝)のミサでも、ラテン語の"Te Deum"が歌われます。ちなみに、367賛美の賛歌(テ・デウム)は、主日祝祭日の読書で歌われる、一週間の最初の大きな賛歌なのです。

 主の降誕の祭日は、待降節の終わりであると同時に降誕節の始まりですし、ここで祝うキリストの降誕は旧約の完成と同時に新約の始まりでもあるのです。
 
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by omasico | 2005-12-25 16:32 | 祈り・聖歌  

クリスマス祝会

 今日は、長女が卒園し、二女が通う、幼稚園のクリスマス祝会がありました。登園は8時30分まで、というわけで、7時半に家を出て、わたくしの両親を乗せて、一路幼稚園に向かいました。
 いつもより早く出かけたせいで、渋滞も激しく、着いたのは8時25分頃でした。
 今年は(おそらく)最後の年ということもあり、例年より少し多く裏方を助けることにしました。PTAの役員の販売準備を手伝い、勝手知ったる教会の台所で、湯沸しと飲み物の準備。実は、親父さんたちは、屋根の上でステンドグラスに暗幕を張る作業をするのですが、実は、わたくし大の高所恐怖症なので、こちらはパスしました。
 第一部は、キャンドルサービス。主任司祭兼園長先生のお話は、園児向けで、とても短く8分弱。来賓の教会委員長と、ちょっとおしゃべり。ま、内容は ひ・み・つ です。
 第二部は、発表会。最初は、全園児での合奏唱。その後、前半は、年中の歌・年長の歌・年少の劇・年中の劇・年少の歌、と続きます。で、やはり年長はさすがに違いました。まだまだ、子どもと思っていた、二女も、しっかりと歌っていました。
 この間に、外の天気は怪しくなってきて、親父のリーダー格であるYさんは、ひとり屋根に登り、ステンドグラスに張った暗幕をはがされました。
 25分の予定の休憩が35分ほどに延びて、いよいよ、クリスマス祝会のクライマックスである聖劇=イエスさまのご降誕が上演されました。わが娘も宿屋の役で登場。大きな声で、歌もせりふも、しっかりとできたと思います。
 第三部はサンタクロース。この頃になると、曽田はかなりの雪になってきました。まだ、外の暗幕があるので、わたくしは、会場から失礼して、脚立ではずせる暗幕をはずし、聖堂にも張ってある暗幕も除去。少しでも皆、早く帰れるように作業をしておきます。ちなみに、「サンタクロースに質問のある人」で、わが娘も「何で、赤い服を着ているのですか?」と質問し、"Good Question"サンタクロースからほめられたそうです。ま、娘のほうは、さめていて「あれはうそこのサンタさんなんだよ」と言っていましたが。
 最後に、園児たちが、お待ちかねのプレゼントをもらってクリスマス祝会は、今年も無事終了!そのあと、全父兄で片付けに入りましたが、やはりこれが一番手間取った感がありました。
 これで幼稚園の大きな行事はほぼ終わり。今日から実質的に冬休みに入ります。
 最後になりますが、この日まで一所懸命園児を指導した先生方、また、会場やお菓子作りに苦労したPTA、特に五役の皆さん、ご苦労さまでした。皆さん、よい冬休みを!
 
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by omasico | 2005-12-22 20:16 | omasicoプライベート  

92歳の誕生日

 今日、12月18日は、存命ならば、2000年に帰天した作曲家、
高田三郎
の92歳の誕生日です。高田三郎と言えば、「水のいのち」などの合唱曲で有名ですが、日本のカトリック教会の祈りのこころ『典礼聖歌』の作曲も手がけていることは、まだまだ、知られていないようです。パレストリーナの研究家として有名な、Lino Bianchi 教授は
「トリエント公会議のあと、カトリック教会の典礼音楽を立て直したのがパレストリーナなら、第二バチカン公会議のあとのそれは高田である」
カトリック・キリスト教会の典礼祭儀のために作曲された合唱曲は、多様性に満ち溢れる、大変豊かな創作力によって作られ、祈りに対する激しい欲求と感動から生まれる、魂の本質そのものが息づいている」
(いずれも、「高田三郎作品による リヒトクライス《光の輪》」演奏会プログラムよりの自由な引用)と高く評価しています。
 さて、その高田三郎は、厳しい指導でも有名でした。指揮を見ていなかったり、言われたとおりにしないと

 と怒鳴ったものです。
 ある、研修会のとき、
「皆さんねー、今日一日、ぼくに付き合ってくれて大変だと思うけど、ぼくはねー、一日中ぼくと付き合わなきゃいえないんだよ。ね、大変だろー!」
と言ったことがありました。確かに、よく、「自分に愛想が尽きた」なんていうことがありますが、ま、そういうことなのかもしれません。もちろん怒鳴られたほうにすれば、たまらなかったでしょうが。
 ただ、生前、指導を受けていた「荒川少年少女合唱隊」の子どもたちは、「先生が『バカヤロー』って言うのは、わたしたちを愛している証拠です」と言っていたそうです。

 この時期、国立の学生有志や、典礼関係のグループでよく、誕生会をしましたが、そのときも、机をたたきながら、バカヤローといっていました。今では、懐かしい思い出です。生きておられれば92歳。
「先生。ストコフスキーは95歳で、100歳の指揮の契約をしたそうですが、先生も100歳で指揮してくださいね。」
とお願いしたことは、残念ながら、実現しませんでした。
 
 
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by omasico | 2005-12-18 09:13 | 祈り・聖歌  

降誕節のための4つのモテット(音楽)

 クリスマスシーズンになると、巷では、いわゆる「クリスマスソング」が、どこでも、うるさいほどになりますが、わたくしはこの季節になると、ある、作曲家のモテットを口ずさみたくなります。それは
F.プーランク「降誕節のための4つのモテット」
 フランス語の原題は Quarte Motets pour le Temps de Noel で、次の4曲で構成されています。
  1. O magnum mysterium
  2. Quem vidistis pastores
  3. Videntes stellam
  4. Hodie Christus natus est
 各曲、もともとは、すべて、「聖務日課」のアンティフォナで、
 O magnum mysterium は、主の降誕の祭日、第2夜課の第四朗読の答唱
 Quem vidistis pastores は、主の降誕の祭日、朝課の第一唱和の交唱
 Videntes stellam は、主の公現の祭日の翌1月7日のマグニフィカトの交唱
 Hodie Christus natus est は、主の降誕の祭日のマグニフィカトの交唱
 です。
 原曲のグレゴリオ聖歌も、それぞれに味わいがありますが、F.プーランクは、混声四部のア・カペラで、彼独特の和声や転調を用いて、不思議な味わいを醸し出しています。特に、Hodie Christus natus est の並行和音(並行8度と並行5度が一緒に出てくる)のところは、圧巻です。F.プーランク(1899-1963)は、日本では、それほどなじみのない作曲家で、似た名前の、クープラン(1668-1733)と間違われることもあります。カトリックの洗礼を受けた1936年以降、カトリック教会の祈りのテキストによる曲を多く書いていて、この「降誕節のための4つのモテット」は、1951-52年にかけて、作曲されました。
 わたくしの手元には、ロバート・ショウの指揮するCDがあり、時々聞いています。
 今年は無理でも、どこかの合唱団で、ぜひ、来年のクリスマスコンサートでチャレンジしてほしい、と思う1曲です。
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by omasico | 2005-12-14 08:08 | 音楽・オルガン  

顔が見えない!

 このブログも、一週間ぶりの更新となってしまいました。サボるつもりはなかったのですが、このところ、降誕祭の準備とか、聖歌グループの翌年の予定作りとか、自分のオルガンの練習もしないといけないとか、雑用に追われています。

 で、今回は、友人の一人から、教会の分かち合いとブログでの分かち合いの違いは何ぞや?と、聞かれて、ちょっと考えてみようと思ったと言う次第です。で、友人が教わった分かち合いの定義は
  1. 教会の部屋で、指導者と共に数人でする

  2. 分かち合いでの意見に、否定や反対意見をはさんではいけない

  3. 自分からの発言は、してもしなくてもよい

  4. 分かち合いで話された内容は、絶対他の場所で、その場にいなかった人に話してはいけない(どうしても話す必要があるときは、5W1Hを変えて、わからないようにしてから話す)
というものです。

 さて、では、ブログでの分かち合いはというと、まず、1、についてですが、コメントを書き込むのは、発信者の記述が済んだ後になりますから、途中で意見することはありません。2、はブログは閲覧だけも可能です。3、は「検索」と言う機能を使えばある程度分かりますし、コメントも、公開コメントだと完全に無防備です。
 もう一つ、コメントについて言えることは、最初の発言者であるブログの管理者が、「このコメントは不要」と思えば削除できますから、これは、自分に都合の悪い意見は完全に抹殺できるわけです。また、取りまとめ役もいませんから、発言は、し放題です。

 そして、これが、一番違うところですが、ブログの場合は
お互いの顔が見えない
ことが大きな、問題ではないかと思います。ことわざでも
「目は口ほどにものを言い」
と言うものがあります。また
「人と話すときは目を見るように」
とも言われます。
 目に代表されるように、人間の考えには、表情も大事な表現となります。また、その、分かち合いの空気=雰囲気大きく影響しますし、どのような文脈、経緯かということも、関連してします。

 ブログでは、この、人の表情と言うものが、伝わってきません。果たして、これが、どこまで分かち合いと表現できるかどうかは、やはり疑問です。書物や文献を読むときにも言えることですが、その文書が、どのような文脈、経緯で書かれたか、作者の発言の意図はどこにあるのか、が大事です。ブログで、これらがきちんと伝わらない、とりわけ、読み取ることができないとなれば、そこにも大きなギャップ・行き違いが生まれることにもなりかねません。

 ブロードバンドを使った、ブログは誰にでも、どこにいる人とでも、やり取りできると言う利点はありますが、相手の表情や意図が、読み取れない、いわば無味乾燥に近いということも、前提にしておく必要があるのではないかと思います。
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by omasico | 2005-12-13 06:30 | HP・ブログ・通信  

ひめねずみ

 12月に入り、寒さも増したきました。11月までは、夜中、ストーブを止めることもできましたが、もう、ストーブを止めてしまうと、家の中が凍り付いてしまう可能性があります。これから、春、4月頃までは、ストーブを消すことができません。先日来の、ストーブ事故も気になりますが、さいわい、該当する会社ではないので、大丈夫だとは思いますが。

 ところで、この2~3日、夜更けを過ぎ、未明になると、家の中で「かりかり」と言う音がするようになりました。春から夏、さらに秋にかけては、このようなことはなかったのですが、毎年、雪が降る頃になると、この音が始まります。その正体は
ひめねずみ
です。尻尾を除いた頭と胴の長さが、9センチ弱、都会に住むねずみのように大きくなく、とっても愛らしいねずみです。このひめねずみ普段は、山の中で暮らしていますが、我が家の近くに生息するものは、どうやら我が家が、冬でも在住していることを知っており、冬になり、雪が降る頃になると、我が家に侵入して来るというわけです。

  昼間、家の中で遊んでいるだけならかわいらしくて、ペットにでもしたいところですが、ひめねずみねずみの仲間ですから、やはり夜行性。それも、寝入りばなとか、明け方ではなく、深夜から未明にかけて、天井や屋根裏を歩き回るので、人間にとっては、まさに安眠妨害となるのです。
 昨年は、かわいそうですが、ねずみ退治のえさを買ってきて、めぼしいところに置いたのですが、ひめねずみも頭がよく、えさを押入れの隅に全部持っていってしまったのです。
 また、だんだん家の中の生活に慣れてくると、わたしたちが起きていても「ササーッ」と家の中を走り回ります。去年、それを見た娘たちは、「きゃーきゃー」声を上げて、「怖いよう」と怖気(おじけ)づいていました。

 ひめねずみ君も、危害を加えるわけではないのですが、安眠妨害となるのには、やはり閉口します。これから、春が来て暖かくなるまで、どうやってひめねずみ君と付き合うか。頭を痛めるところです。
 
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by omasico | 2005-12-06 19:39 | omasicoプライベート  

サンタの日

 クリスマスと言うと、その降誕を祝うはずのイエス・キリストよりも、サンタクロースのほうが主人公になってしまっています。しかし、本当のサンタクロースの日は12月24日ではなく、12月6日なのです、と言ったら皆さんは驚かれるでしょうか?実は、サンタクロースには実在のモデルがいるのです。 
 その人の本名は聖ニコラオス(ニコラウス)4世紀にリュキァのミュラ=現在のトルコのデムレと言う町の司教(教会の責任者)でした。実は、聖ニコラオスについてのはっきりした記録はなく、その頃、ローマ皇帝コンスタンティヌスによって招集され、キリスト教の重要な教理を決定した「ニカイア(ニケア)公会議」の出席リストに名前が記されている以外に、確かなことは知られていません。しかし。聖ニコラオスについてはその後、数多くの伝説が残され、特に有名なものが、貧しい貴族の娘たちのために、こっそりと金貨を靴下の中に投げ入れ、そのお金で三人とも無事、しあわせに結婚ができた、と言うもので、サンタクローズがプレゼントを靴下の中に入れてゆくというのは、ここに起源があると言われています。その他にも、水夫を難破から救ったり、基金のときに穀物を人々に与えたり、と人々をさまざまな危険から 救ってくれる聖人とされています。 日本やアメリカでは、トナカイのそりに乗ったサンタクローズが一般的ですが、「みずかっちぇ」さんのブログの写真にもあるように、ヨーロッパの聖ニコラオスは、本来の司教のいでたちで、やってきます。今でも、ヨーロッパ各地では、この12月6日(前夜祭は12月5日)聖ニコラオスのお祝いをしています。ちなみに、各国、それぞれ、その土地の悪霊を従えたり、お供をともなっているのも特徴です。 トナカイのそりに乗ったサンタクロースは、19世紀にドイツの画家が描いたのが始まりです。その後、サンタクロースは、北欧の雪深い国に住むようになりましたが、本来のサンタクロースである聖ニコラオスは、ギリシャの生まれで、12月6日にお祝いをすることを覚えておいていただければと思います。 
 ちなみに「サンタクロース」は、オランダ語で聖ニコラオスを意味する、「シンタクラウス」が、アメリカへ渡った移民の間でなまったものだそうです。  
 すべての人の父である神よ、あなたのいつくしみを求めて祈ります。司教 聖ニコラオの取次ぎを願う わたしたちが、すべての危険から守られ、救いの道を歩むことができますように。  
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by omasico | 2005-12-05 07:08 | 祈り・聖歌  

冬来たりなば

 12月に入り、寒さもいよいよましてきました。関東以西では、まだまだ、紅葉も見られるようですが、我が家の周りの木々は、すっかり葉を落としススキの穂も、綿毛が白く日に輝いています。

 これから、さらに、寒さも厳しくなり、今月の下旬には、初雪が降るようになります。例年クリスマス寒波が来ると、15~20センチは積もる大雪となり、25センチ以上雪が積もると、車は走れなくなります。と言うのは、デフより雪が積もると、雪に乗り上げてしまうからです。こうなったときは、ひたすら除雪が来るのを待つしかありません。

 さて、冬と言うと、こんな暗い話題だけではありません。家内が好きなことばが
「冬来たりなば、春遠からじ」
家内は、ここで暮らして、冬が来るとよく口にします。で、この時期、広葉樹の枝を見ると、そんな、ことばを象徴するものが見られます。
何だと思われますか?
それは、もう、木々の枝に、来年吹く新芽が膨らんでいるのです。
 ハギなどまだ葉を完全に落としていないものはまだですが、ヤナギ(ここら辺ではシダレヤナギではなく、ネコヤナギの仲間)など、春の芽吹きが早いものほど、新芽大きく膨らんでいます。わたしたちの目には、ついこの間、枯れた葉を落として、冬休みに入ったように見える、森の木々たちも、実は、もう、すでに、来年の芽吹きの準備をしているのです。この様子を見るにつけ、
「冬来たりなば、春遠からじ」
ということばを実感することができます。

 皆さんの周りでも、いろいろな広葉樹がそろそろ、来年の芽吹きの準備をしていると思います。公園に、街路樹に、近くの木立に

一足早い春

を探しに行っては見ませんか?
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by omasico | 2005-12-02 11:03 | 四季折々