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あれは3年前

 今日は、午前中、2ヶ月に1回の病院での定期の診察の日でした。観てもらっているのは、内科で、痛風心臓(不整脈)の二つです。

 痛風の方は、30歳のときに発作が起こりました。「風が吹いても痛い」というのでこの名前が付けられたといいますが、ベッドに寝ていて、あげた足を静かに下ろしても、下ろした瞬間にとてつもない痛みを感じます。人に、痛風で薬を飲んでいることを話すと、「うまいものばかり食っているからだ」と言われますが、そういうわけではなく、どうも遺伝的なものがあるようで、痛風は、普通、発病するのは、男性がほとんどなのですが、わたしの母が女性にしては珍しくこの病気になっているので、多分その影響でしょう。痛風は、薬をきちんと飲み、暴飲暴食さえしなければ、発作が起きることはまずありません。

 もうひとつは不整脈ですが、こちらは、ちょうど3年前の9月の初めに発作が出ました。朝、いつものように起きたのですが、どうも心臓の様子がおかしく、中からもまれるようです。とりあえず、朝の用足しは終わらせましたが、どうしても立っていられません。朝食の用意(今でもわたしの担当です)もありますし、当時は、幼稚園の年中だった長女を送っていかなければなりません。少し休めば治るかなと思いましたが、どうにもならず、近くに父に来てもらい病院へ行くことにしました。そのとき、長女が、「幼稚園にいけなくなっちゃう」と泣いたのを今でも覚えています。
 病院へ着くと、起きていられませんから、処置室のベッドに寝かせられ、看護婦さん、まだ、診察時間前なので、前日からの当直の医師にいろいろと、おんなじことを聞かれます。わたしの母が他の祖父が狭心症だったので、いよいよわたしもか、とも思いましたが、それ程でもないようです。当直の医師、曰く、「今日はちょうど循環器の先生が来る日でよかった。」 当時、依田窪病院には、循環器(心臓など、血液循環専門)の医師は常駐しておらず、金曜日にだけ山を越えた松本の信大病院(信和会HP参照)から通ってきていたのです。偶然にもその日が金曜日で、わたしにとって見れば不幸中の幸いでした。
 循環器の先生が到着して、またまたいろいろ聞かれますが、まず、発作の薬を注射されました。「これで、後30分もすれば発作はおさまるから」と言われ、そのとおり、30分経つと発作はうそのようにおさまりました。やはり餅は餅屋ですね。
 さらに診察を受けて、薬をもらい、家に帰りますが、もちろん、車の運転などできる状況ではありません。結局、長女は、わたしが帰ってから、祖父母に幼稚園へ連れて行ってもらいました。

 普段の診察は、変わったことはないか聞かれ、特にないと、それこそ3分診療ですが、今日はちょっと違いました。診察の中身は同じだったのですが、その前に、採血、心電図、レントゲンがありました。採血の日は朝から何も食べないで行きます。もちろん今日も、朝から、一滴の水も飲まないで行きました。心電図とレントゲンも、ちょうど、発作の起きた時期ということで、要確認事項です。それらを終えて、ないかの待合に戻って着ましたが、予約時間になっても呼ばれません。その少し前の、予約の人も待ってますし、先生が診察室を出てゆくところを、目にしましたが、帰ってきた気配は、なし。そのうちに、看護婦さんのが、他の患者さんに話しているのを耳にしたところ、どうやら、急患の入院が3人も入ったとのこと。どうりで遅いわけです。でも、文句を言うことはできません。わたしも3年前に、先生は違いましたが、急患で担ぎこまれ、大勢の人を待たせた経験があるのですから。

 この時期になると、まだそれほど時間も経ってはいないのですが、なぜか遠い出来事のように思い出されます。よく、一病息災とは言いますが、痛風不整脈、大病ではありませんが、気をつけないといつ発作が起きないとも限らない爆弾を抱えているのですから、普段から、気をつけること、いつものことが大切と、毎日噛み締めています。


 
 
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by omasico | 2005-08-31 14:15 | omasicoプライベート  

晩夏の万歌

 長野県のほとんどの小学校は、今週の月曜日から2学期が始まりました。二女の通う幼稚園も同じく月曜日が始業式で、いつもの生活が戻ってきました。朝5時に起床、長女を起こす6時までPCをチェック。朝食の支度をして、6時半に朝食。7時に長女を通学バスのバス停まで送って行きます。その後、8時過ぎに、二女を連れて山を降り、このあたりでは一番大きな、新幹線の停まる、城下町にある幼稚園へ送ってゆきます。

 このところ、朝、明るくなるのもだんだんと遅くなってきました。夏至の頃は、4時半といえばうっすらとし、5時にはかなり「明るい」と思いましたが、この頃は、6時になってようやく「朝だな」という感じです。

 初夏の頃と様相が異なるのは、朝の明るさだけではありません。一番大きな違いはなんといっても草花でしょう。今は、秋の七草の、ききょうおみなえしくずおばな=すすきおとこえしが咲き競っています。他にも、まだ、青いながらも、どんぐりくりが、だんだんと実を大きくしてきました。

 虫たちも、キリギリスの勢いが今ひとつなのに対して、夜中にはこおろぎの仲間が鳴き始めました。トンボも、田んぼの上を舞う数が次第に増え始め、夜の蛾も、ヤママユガクスサンが明かりを求めて舞っています。

 秋といえば、このあたりでは、やはり「きのこ」です。さすがに、マツタケは取れませんが、いわゆる、ジコボウ、アミタケのたぐいや、ハタケシメジ、クリタケ、ムラサキシメジ、変わったところでは、シャカシメジ、カラカサタケ、タマゴタケなどが取れます。だいたい、きれいなきのこや、白いきのこは危なく、紫や、形が変わったものは、たいがい大丈夫ですが、だからといって油断できないので、きのこ相談員の方など、よく知っている方に伺った上で、間違いのないもの以外は食べないのが最善の策です。

 これからは、いろいろな山の秋の味覚が楽しめますが、 「食欲の秋」は、夏ばてで弱っていた体が、ちょうど良い気候になって、栄養をよく吸収しようとして、ついついたくさん食べるところから、また、冬の寒さに備えて、エネルギーを取り込もうとすることから付けられたのではないかと思います。だんだん、盛夏の賑わいはなくなり、秋の寂しさが漂ってきますが、冬に入る前に、山の秋の味覚を存分に楽しみたいと思います。

 
  
 
 
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by omasico | 2005-08-24 20:54 | 四季折々  

南十字の故里

 従兄妹との「レクチャー・コンサート」の残務処理もひと段落し、12日から、いよいよ茅ヶ崎にある家内の実家に出かけました。土砂降りとはいかないまでも、かなりの雨の中、まず、R142からR141に入り、野辺山、清里を抜けて、須玉ICから中央道へ。中央道を甲府南で降り、「サティアン」で一躍有名になった上九一色村から精進湖、富士吉田、山中湖へ。そこのデニーズでお昼の後、山中湖から小山へ抜ける間道を通って、大井松田ICから東名へ。厚木で、一般道に降り、平塚から茅ヶ崎へと着きました。
 丁度、帰省ラッシュと反対方向だったこともあり、富士吉田から山中湖の間以外は、道も空いていて、一番驚いたのが、厚木ICで、普段は、ゲートがほとんど全部開いていても十数台並ぶのですが、今回は半分のゲートでも、並ばずに通れたのです。

 さて、 茅ヶ崎で何をしたかを書くのも実は野暮で、13日は、仕事の打ち合わせで、松戸へ行き、その帰り、北千住とアメ横と四谷で買い物。14日は、茅ヶ崎教会の聖歌隊の練習と、ま、半分は仕事でした。

 北千住の買い物は、「樫木の樽」という、お菓子。と、言ってもブランデーやウィスキーなどを使ったケーキやクレープで、なかなかの絶品です。近頃、東京のお土産も、ありとあらゆるものが開発?されていて、デパ地下などでも、「限定」「高級」がもてはやされていますが、わたしは、やはり、この、「樫木の樽」が、大人の上品な味を醸し出していると思います。

 15日は、家内の実家の買い物ついでに、茅ヶ崎産のお土産を買いました。茅ヶ崎と言えば、今はなき「ホテルパシフィック」、「若大将」、そして、「サザンオールスターズ」が有名ですよね。この時期は、やはりなんと言っても、サーフィンに来る人が多く、子供連れの若い夫婦のサーファーも結構見受けられます。ま、わたしの若い頃は「サーフィン」ではなく「波乗り」と言っていましたが。
 茅ヶ崎のお土産と言うと、真っ先に上がるのは、やはり「たたみいわし」でしょうか。最近は、徐々に値上がりしてきて、10枚1100~1400円の範囲となっていて、こちらは、もう高級品という感じです。それでも、味のほうは格別で、こんがり焼いて、ビールのおつまみには最高ですね。ぽりぽりパクパクと食べてしまいたいくらいです。他にも、干物もおいしいですが、やはり大人の趣味でしょうか。
 このほかにお勧めは、「湘南ちがさき屋本舗」のお菓子あれこれです。詳しくはホームページをご覧いただくとして、なぜか「江ノ島タコせんべい」が名物となっています。わたしのお勧めは、「湘南海岸の小石チョコ」。小瓶に入ったチョコなのですが、まるで、浜辺の砂というか、宝石の宝箱のよう。同じものは「サザンビーチの砂」でという名前でも販売されていますが、こちらは、丸い紙製のケース入り。やはり、「湘南海岸の小石チョコ」の方が、メルヘンチックですね。女性向けのお土産には最高でしょう。
 最近、新発売になったのが「しらすせんべい」。「たたみいわし」にもふんだんに使われている「地上がりしらす」をふんだんに使っています。残念ながらまだ試していないので、次回行ったときには、買ってこようと思っています。「湘南ちがさき屋」のお店はいくつかありますが、電車で一番便利なのは、茅ヶ崎「ルミネ」の1階です。

  最後に、一番のお土産は、海岸で取れる貝殻でしょう。砂浜にはほとんどありませんが、「烏帽子岩」をのぞむ、防波堤のところでは、いろいろな貝が取れます。でも、潮のにおいを抜いて、ハエが寄ってこないようにしないといけません。何でもそうですが、人のこころを動かすものは、とても手がかかるのです。

 「若大将」に「サザン」など、有名人もたくさんいる茅ヶ崎ですが、なんと言っても、波打ち際の、漣の音こそ、茅ヶ崎の象徴のような気がします。広い水平線と、果てしなく続く空。茅ヶ崎の海岸からは、南十字星は見えるのでしょうか。もし見えないとしても、この海岸は、やはり南十字星の故里のような気がするのです。
 
 
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by omasico | 2005-08-17 19:22 | 旅行・鉄道・趣味  

レクチャー・コンサート

 8月6日、かねてかから従兄妹の思惑で、準備をしてきた、
「レクチャー・コンサート-BACH お話と演奏でつづる音楽の父バッハ」
の当日となりました。前日は、金曜日。普段どおり、同じ別荘地内にある(といっても車で10分の距離)両親のところで目覚めました。我が家には、ピアノがないので、従兄妹も、わたしのピアノを置いてある、両親の家に逗留中。いつものように、子供たちをせかしながら、朝食を取り、わたしと従姉妹は、8時10分に出発。まず上田に向かいます。
 上田のホテルに、昨日から、従兄妹の友人が来ているので、まず彼女を迎えに行きます。従兄妹とは。中学高校が一緒で、彼女は、フルートを吹き、コンピューターも操るなかなかの芸達者。車を走らせての感想は、山がいい、とのこと。普段、都会で仕事をしているので、自然にあこがれているのだそうです。
 上田から、車で、約15分、今回の会場である「信州国際音楽村」へ到着しました。まず、ホールの職員の方々にごあいさつ。早速、楽屋となる、1部屋に荷物を運び込みます。続いて、ホールで、ピアノの位置をチェック。従兄妹の友人は、照明を担当してくれるので、ホールの方と、三人で機材のあるブースへ上がります。この階段が壁に垂直につけられているはしご段。高所恐怖症のわたしにとっては、試験より苦手ですが、今日はそんなことも言ってられません。必死で階段を登り、ブースへ。開場時、レクチャー、コンサート、それぞれ照明のバランスを調整します。
 ピアノの演奏会の前に、しなくてはならないのが調律。ところが、時間を過ぎているのに、調律師が来ない。ホールの職員の方に尋ね、「確か、こちらで手配していただくようにお願いしたと思いますが?」と伺ったところ、「早速調べます」との弁。少しして「こちらの手違いで、手配していなかったので、すぐに、お願いして、来ていただきます。大変申し訳ありません」と、平身低頭されますし、過ぎたことは、致し方ありません。従兄妹が、12時半くらいには、調律が終わるように、との要望をし、すぐに着ていただけるとのことで、とりあえず事なきを得ました。
 それまでの間、従姉妹は、ピアノを練習。ただし、スタインウェイのフルコンサート。ピアノで、楽器も重いから、あまりやりすぎても疲れるため、程ほどに。従兄妹の友人は、照明のブースで、照明のチェックと、DATでの録音の準備。わたしは、受付やら、招待席の張り紙やら、開場の準備に奔走します。とにかく、お金も、後援も、スポンサーもなし、なしですから、主宰者兼弁士?も、自分の時間までは、裏方兼任です。
 準備がひと段落した頃、調律師の方が到着。調律をお願いして、われわれ三人は、近くのスーパーへ、プログラムのコピーと昼食の買出しに出かけました。ホールの中は涼しいものの、外は炎天下。車の冷房もフル稼働です。コピーも無事終え、お弁当を買って、楽屋へ戻り、早めのお昼にします。この後。わたしは、家族を迎えに、昇進の家まで往復。家族を乗せて音楽村へ、戻りました。 
 すでに1時。ちょうど調律が終わったところ。ピアノの位置が、調律師のアドバイスで変えられていて、レクチャーの時には、位置をずらさなければなりません。支払いを、従兄妹の友人に任せ、気の、早いお客さんが待つ中、受付を手伝ってくださる、「NCC」のメンバーと打ち合わせを済ませ。いよいよ楽屋で、着替えに入ります。会場のアナウンス嬢もいませんから、案内やら注意のアナウンスも担当します。
 いよいよ2時。まだ、駆け込みで来るお客さんもいらっしゃるので、少し時間を押して、いよいよ開演です。
 なるべく
難しくないように、緊張しないように

と冗談も交えたつもりでしたが、「源の頼朝の13歳のときのしゃれこうべ」以外はあまり芳しい反応がなく、「ちょっと難しかったかな?」と、困惑することしきりでした。従姉妹には、「」と言ったものの、結局、予定より8分オーバーの48分にレクチャーが終了しました。
 後半の従兄妹の演奏
「INVENTIONEN UND SINFONIEN インベンションとシンフォニア」
も滞りなく終わりました。着替えと、ホールの片付け、売り上げの精算、残りの支払いを済ませ、隣の喫茶店で、お茶を飲んで、ようやく落ち着きました。
夕食兼打ち上げは、従兄妹の母=叔母が駅の前の >『若菜館』という、有名なうなぎ屋さんでお振る舞いをしてくださいました。「遠慮しなくていいよ」ということで、
 白焼き、肝焼き、うまき卵、馬刺しの握り
 普段、なかなか口にできないご馳走に、舌鼓を打ちました。

 感想ですか?
 「こんな打ち上げなら、月に2~3回あったらいいですね」
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by omasico | 2005-08-08 07:20 | 交友・親類  

アップロード奮戦記

 いよいよ八月となりました。八月は、古称「葉月」。山の中の別荘地にいると、「葉月」の意味が手に取るようによくわかります。
 この季節、朝は、4時半頃には空が明るくなり始め、まずヒグラシの合唱が始まります。その声で安全を確かめたように、ニイニイゼミが鳴き始めます。その他、アカエゾゼミやキリギリスもこの合唱に加わります。今年は、例年になく、ニイニイゼミやキリギリスがたくさん鳴いているように感じられますが、やはり暑さが厳しいからでしょうか。

 わたしのパソコン業務?は、朝5時に始まります。子供たちが起きるまでの1時間で、天気予報から始まり、ニュース(我が家は、新聞を取っていません。テレビも日テレとテレ朝計の2チャンネルしか映りません)、メール、ブログのチェック、メールや書き込みへの返信を行います。その後、朝食の用意をするのが日課です。
 8月2日までは、ここまででしたが、この日の午後から、さらに、掲示板のチェックが増えました。と、言うのもようやく念願のホームページを開設したのです。

 もう、ご覧になった方がほとんどだと思いますが、ホームページは、『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』です。

 ホームページの作成を考え、パソコンを専門にやっている友人に相談したところ、htmlで入力することを勧められましたが、入門書や辞典を買ってみると、かなりの難作業に見えます。そこで、普段は「地道な努力を!」と人に言いながら、安直に、インストールされているソフトを使いました。それでも、四苦八苦しながらようやく、何とかまとまりがつくまでになりました。

 8月2日をアップロードの日と決めて、その日の朝を迎えました。朝食前までに、すべてのチェックを済ませ、朝食後、ソフトで、ホームページを再チェックし、いよいよ、アップロードにかかりました。ソフトの「ヘルプ」を読み返しながら、必要事項に入力し、「FTP転送」をクリックしますが、どうにもうまく行きません。何度か設定を変更したり、ソフトの会社の、ホームページも見て、いろいろ確かめてもうまく行きません。そうこうするうちに、とうとう、お昼となってしまいました。
 仕方がないので、プロバイダに連絡したところ、ソフトのことはわからないので、ソフトの会社に聞いてくれと言われ、ソフトの会社では、設定が間違っていなければ、接続できるはずなので、もう一度、プロバイダに確かめてくれ、と、まるで、救急車のたらいまわしのようになってしまいました。
 そのうち、子供たちがプールへ行くというので、子供たちと家内をプールへ送り(わたしは「かなづち」で水泳は苦手)、その間に買い物をしますが、アップロードのことばかり頭をよぎります。家内と子供たちを迎えに行き、帰宅。シャワーを浴びてから、もう一度、一箇所、設定を変えて「FTP転送」をクリックしました。すると、簡単に、アップロードできたではありませんか。
 一時は、全部もう一度、htmlで入力しなければだめかな、思っていたので、「ヤッタ!」という満足感と同時に、「一体、午前中の苦労はなんだったんだろう?」というむなしさが、こころをよぎりました。

 でも、何はともあれ、無事にアップロードし、ホームページの公開にこぎつけた次第です。

 というわけで、これからは、ブログ3つとホームページに掲示板と、チェック項目がふえ、しばらくは、パソコン漬けの日が続きそうです。それは、また、『典礼聖歌』の研究を、絶え間なく、たゆまなく行うことでもあるのです。

 これからもどうぞ、つたない、わたくしの研究が、神の国の完成に役立つように、支え、祈っていただけたらと思います。

 皆さんの心遣いに、

神に感謝
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by omasico | 2005-08-04 14:49 | HP・ブログ・通信