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教皇フランシスコ(パパ様)のことば (3)

教皇フランシスコは、今年5月に出された、使徒的勧告『福音の喜び』で、次のように述べています。
「『殺してはならない』というおきてが人間の生命の価値を保証するための明確な制限を設けるように、今日においては『排他性と格差のある経済を拒否せよ』とも言わなければなりません。この経済は人を殺します。路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにはならず、株式市場で二ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならないのです。これが排他性なのです。飢えている人々がいるにもかかわらず食料が捨てられている状況を、わたしたちは許すことはできません。これが格差なのです。現代ではすべてのことが、強者が弱者を食い尽くすような競争社会と適者生存の原理のもとにあります。この結果として、人口の大部分が、仕事もなく、先の見通しも立たず、出口も見えない状態で、排除され、隅に追いやられるのです。そこでは、人間自身もまた使い捨てのできる商品同様に思われています。わたしたちは『廃棄』の文化をスタートさせ、それを奨励してさえいます。もはや単なる搾取や抑圧の現象ではない、新たなことが起きています。つまり、排他性は、わたしたちが生活する社会に帰属するという根幹の部分にまで達しているため、もはや社会の底辺へ、隅へ、権利の行使できないところへと追いやられるのではなく、社会の外へと追い出されてしまうのです。排除されるとは『搾取されること』ではなく、廃棄物、『余分なもの』とされることなのです。』(フランシスコ 『使徒的勧告 福音の喜び』 カトリック中央協議会 2014 56~57ページ)
この文書を読む限り、パパ様が警告する『廃棄の文化』は、ものばかりではなく、人に対しても行われているということです。今回は、パパ様のこの文書を提示するにとどめますが、これから、折を見て『廃棄の文化』について、考えてみたいと思っています。

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by omasico | 2014-09-07 14:59 | 全ブログ共通  

実情(1)

現代の日本で生活していて、コンビニエンスストアを利用したことがない方は、まず、おられないと思います。また、学生さんの中にも、アルバイトの経験を持つ方もおられるでしょう。

ところで、

1 スーパーマーケットの従業員

2 コンビニエンスストアの従業員

3 飲食店の従業員

この中で、仕事量と自給を総合すると、どの仕事が一番、自給が安いと思いますか。

実は、2 コンビニエンスストアの従業員なんですね。

1 スーパーマーケットの従業員は、大体、担当が決まっていて、レジの人が品出ししたり、発注担当の人が、惣菜を作ったりすることはありませんし、売り場も広いので、掃除は、関連会社の専門のかたが行います。

3 飲食店の従業員は、大体、調理と洗い場、ホールの担当が分かれており、どちらかが忙しい時には、応援に入ることはありますが、ホールの人が、刺身包丁を持ったり、フライパンをふったりすることはありません。

 しかし、コンビニの店員の仕事は膨大です。レジはもちろん、店内の掃除、トイレの掃除、ゴミ箱の清掃、商品到着後の検品(品物がきちんと届いているかチェックする)、品出し、廃棄商品の確認撤去、品物の補充、店内調理品の調理(おでん、中華まん、揚げ物、コーヒー)、これらの器具の掃除、商品の発注、このほかにも、店舗へかかってきた電話の対応(利用客、各コンビニの本部から等々)、宅配便などの受付・・・・・。

 これらの業務を、店によっても異なりますが、最低の場合は、2人で行わなければなりません。

 これらの業務のうち、例えば、商品の配送は、大体、時間が決まっているものの、店舗の都合で配送されるわけではなく、すべて、配送する会社の都合で配送されます。器具の清掃は、利用客の少ない時間、あるいは、従業員がそろっているときで、他の業務、検品や発注に重ならない時間に行わなければなりません。ゴミ箱の清掃も、ゴミ箱がいっぱいになったからといって、すぐに行えるわけではありません。会計のお客さんが並んでいれば、そちらを優先させなければなりません。

 さらに、コンビニエンスストアでは、時期によって特別の注文を取ったり(お歳暮、お中元、丑の日のウナギなどなど)、特定商品の値引きセールや、アニメーション作品などとタイアップしたくじ引き、おなじく、店内販売の商品が当たるくじ引きなど、本部の決めたスケジュールをこなさなければなりませんが、これらを行うのに、特別に本部の社員が派遣されるわけではなく、普段の従業員で対応しなければなりません。普段以上の労力が必要とされるときはもちろん、店舗によりことなりますが、地域のイベントや行楽シーズンで忙しい時にも、普段通りの従業員でまかなわなければ、なりません。

 こういう、状況で、たとえ、店舗や本部で売り上げが大きく向上したからと言って、コンビニの現場の従業員に、ボーナスとか大入りの賞与があるわけでもなく、従業員は、たとえ、仕事が多くなっても、給与は普段と変わらないのが現状です。これは、この数年のコンビニエンスストアの商品の扱いを見るとわかるのですが、この、数年、店内調理の商品やコーヒーマシンの導入など、利用客にとっては、うれしいサービスが増えたと思いますが、現場の従業員は、どんどん仕事が増えているにも関わらず、ほとんど給与が上がっていないのが実情といえるでしょう。

 4月の消費税増税以降、不況が続く中、コンビニだけが一人勝ちしていると、経済紙のサイトでは、よく、報じられますが、その背景には、現場の従業員の作業は増えるにも関わらず、給与が据え置かれているという実態があることを知っておいてほしいと思います。

 


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by omasico | 2014-09-04 13:47 | 全ブログ共通  

なかにし礼さん、平和の申し子たちへ

なかにし礼さんの「平和の申し子たちへ」を聞きました。
詩で、朗読だけで、伝えるよりも、音楽として、歌曲、合唱曲として、伝えてゆくほうが、もっと、インパクトがあります。
作曲家の皆さん。
特に、ここで、訴えます。
松下耕君、栗山英樹君、同級生として。
ぜひとも、この詩に、曲を付けてください。
わたしたちの子供たちが、殺されることより、人を殺すことがないように。
世界の人たちが、殺しあうことがないように。
殺し合いではなく、話し合いで、平和の道を探ることができるように。

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by omasico | 2014-08-19 21:19 | 全ブログ共通  

パパ様のことば(2)

あるサイトに、某牛丼チェーン店の過労働の問題の記事がありました。それには、結局、働いているのが「人間であることを忘れていた」ということが、原因の一つになっていたのだということが書かれていました。
これは、常々、パパ様=教皇フランシスコが訴えていたことにほかなりません。パパ様がおっしゃるには、人間が大切にされる社会、人間の尊厳が守られることが、現代社会では軽視されていることを、危惧しておられます。
某牛丼チェーン店の問題は、この会社の問題だけではないと思います。確かに、お客さんも大切ですし、会社の経営も大切でしょう。しかし、そこで働いている、従業員はどうなのでしょうか。
コンビニの標語などでも、お客さんや商品を大切にすることは、うるさいほど書かれています。しかし、本部や本部の社員から、従業員が大切ですから、とか、従業員へのねぎらいの姿勢は、ほとんど感じられません。
お客さん、会社、従業員、これが、店舗にとっての三位一体ではないかと思います。いくら、お客さんに人気があっても、会社の経営が安定していても、三本柱の一つ、現場の従業員がいなければ、お店は、成り立ちません。
某牛丼チェーン店の事件は、会社の常識は社会の非常識であったのですが、これは、日本の常識は世界の非常識にもつながりますし、現代人の常識は神の国の非常識である部分があることをわきまえておく、これが、パパ様の忠告の原点にあると思います。

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by omasico | 2014-08-19 09:29 | 全ブログ共通  

孤軍奮闘中

えらい、久しぶりの投稿になります。
昨年の6月以来、低糖質=低炭水化物食を始めて、13キロ減量、ウェストも同様に減り、血液検査の結果も良好で、体重が軽くなって、歩くのが楽しくなりました。
さらに、この7月からは、MEC食を導入。毎日、肉、卵、チーズを主食として、30回以上よく噛んで食べるというものです。おいおい、MEC食については、詳しく紹介してゆきたいと思います。
で、MEC食はおろか、低糖質=低炭水化物食すら、情報が少ない、長野県で、これを実践するのは、なかなか、大変で、孤軍奮闘状態が当分続きそうですが、奮闘努力してゆきたいと思います。

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by omasico | 2014-08-08 06:43 | 全ブログ共通  

『神とともにある生活』(新刊紹介)

 以前、わたくしの友人で、神学部の先輩である、宮越俊光氏の『早わかりキリスト教』を紹介しましたが、11月30日付で、やはり、神学部の大学院の先輩で、神学博士の石井祥裕氏による新刊
『神とともにある生活』
が、パピルスあいから発売されます。そこで、この新刊について、ご紹介したいと思います。

 この『神とともにある生活』は、「カトリック生活」(ドンボスコ社)に連載された記事を中心に、そのほかの記事も加えてまとめられたものです(あとがきより)。石井氏は、一貫して、信徒・会衆の一人としての立場から、典礼を単に儀式・祭儀ではなく、生活に密着させたもの、著者のことばを用いれば、「ライフスタイルとしてのキリスト教」「キリスト教を生活の様式としてとらえ」ようとしています。
 本来、キリスト教=信仰生活は、神学的な議論や法的規定が先にあったわけではありません。氏が指摘しているように、「教会の実践は、神学上の議論よりもはるかに広く、かつ、生きたものなのです。ある実践形態が神学や典礼上の問題として浮かび上がるかどうかは、教会の置かれた状況によっているのです」(同書51ページ)。
 
 PART1は「入信のミステリー-キリスト者となるプロセス」を、イエスの洗礼にまで遡り、古代教会の実践なども十分に考察し、洗礼-堅信-聖体という入信の三秘跡を、いかに共同体として豊かな体験にするかを主眼にとらえています。
 PART2の「神の民のまつり-一年のめぐりの中で」は、氏が研究課題ともされている、聖書朗読に焦点を当てながら、教会の典礼暦を振り返り、オーストリア留学中の体験も踏まえて、典礼を生活に密着したものにできるかを考えています。
 PART3「展望-キリスト教の未来を開くために」は、本書のまとめというよりも、氏の研究と実践の集約とも言うべきもので、過去二千年の教会と典礼を反省し、これからの教会と典礼への助言となっています。

 第二バチカン公会議以後の典礼については、とかく解釈が分かれますが、氏も冒頭で書かれているように、「以前は信者が儀式の主要部分を担うことが少なかったものを、信者が積極的に分担し、参加するという、教会の歴史からすれば、本来の形に立ち返った、共同体的な礼拝行為の正確を明確化したところに特徴があります。」この『神とともにある生活』は、平易な文章で書かれ、一項目も短いものですが、『聖書』と古代教会の資料に基づいた=それはまた、教会の歴史と伝統の本質に遡り、反省し、踏まえており、教会の典礼の実践の歴史の豊かさと深さを伝えてくれています。
 前教皇ヨハネ・パウロ二世の広島での『平和アピール』に「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです」という一句があります。これからの典礼を考えるとき、この数百年の出来事や、現代の法的規制にだけとらわれると、教会の典礼の伝統の本質を見失う恐れがあります。教会の実践と伝統の本質である、『聖書』と古代教会の歴史までを振り返ることこそ、典礼をわたしたちの生活そのものにするためにもっとも大切なことです。
 その意味でも、教会の実践と伝統の本質である、『聖書』と古代教会の歴史から典礼を省察した、この『神とともにある生活』は、典礼・信仰を生活そのものにするための、よい道案内をしてくれる座右の書ということができます。

 
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by omasico | 2005-11-26 16:56 | 全ブログ共通  

聖書三部作(共通企画)〔その2〕

聖書カンタータ三部作
『イザヤの預言』
『預言書による争いと平和』
『ヨハネによる福音』

 今回は、これら聖書カンタータ三部作精神と手法について記述したいと思います。これら聖書カンタータ三部作には、いずれにも
ピアノ伴奏の場合には「混声合唱とピアノのための」
オーケストラ伴奏の場合には「混声合唱と管弦楽のための」
という表題がついています。このことから、これら聖書カンタータ三部作は、単なる合唱曲ではなく、ピアノやオーケストラなどの楽器の部分にも、テキストに関連したメッセージが語られていることが分かります。多くの場合は、ピアノの伴奏で演奏されますが、ピアニストの方も、これらのテキストが語ろうとすることを、ぜひ学んでいただきたいと思います。

 さて、これらの曲を歌ったこと、あるいは、棒を振ったことのある方は分かると思いますが、これらの曲の合唱の部分には、シンコペーションが全く用いられていません。実は、作曲者高田三郎氏の『典礼聖歌』でも、シンコペーションは全く使われていません。これは、『典礼聖歌』で、その手法と精神を取り入れたグレゴリオ聖歌の場合、「切分音というものは落ち着きがなく、祈りの音楽としてふさわしくないため、ソレム唱法では避けられて」(『典礼聖歌を作曲して』191ページ)いるからです。ですから、このことから考えられることは、これら聖書カンタータ三部作は、単なる合唱曲ではなく、合唱曲という音楽形式を使った「祈り」であるということです。これらの曲が、「祈り」としてふさわしく歌われ、人々のこころを揺り動かすときには、聖霊がその人々の口を通して働いていると言えるでしょう。

 さて、高田三郎作曲の『典礼聖歌』も多くの合唱曲も、小節線の後は、いわゆる強拍ではなくテージス(休息)、小節線の前のアウフタクトは、弱拍ではなくアルシス(飛躍)です。これらについて、よくたとえられるのは、ゴムボールを上に投げ上げて、一番高いところに上がったときがアルシス(飛躍)、手に戻ってきたときがテージス(休息)といわれます。
 これでは、よく分からないかもしれませんので、他にいくつかのたとえをあげたいと思います。ひとつは、回転木馬(メリーゴーランド)の木馬が、一番高く上がったときがアルシス(飛躍)、一番下がったときがテージス(休息)、水の上に石を跳ねさせたとき、一番高く跳ね上がったときがアルシス(飛躍)、水の上で跳ねたときがテージス(休息)と考えればよいでしょうか。英語では、強拍をダウン・ビート、弱拍をアップ・ビートと言いますが、この、ダウンとアップが、まさに飛躍休息をよりよく表していると言えるでしょう。
 この手法は、高田氏が日本語を生かすものとして、自らの合唱曲の作曲に取り入れたものですが、日本の民謡の伝統からもふさわしいものです。
 
 これについては、服部龍太郎氏が、著書『日本の民謡』(角川新書186)の中で次のように指摘しています。「日本の民謡を観察すると、ほとんどがいつの場合でもアクセントの弱い音からうたいだし、第二音になってようやくアクセントを強めるということをしている。すなわち、弱起のかたちをとっているのであって、これは、日本語のアクセントにふかいつながりがあるものとおもわれる。この一事は音楽にたずさわるひとはもちろんのこと、音楽に関係のない日本人でもよくこころにとめておいてもらいたいことである。日本民謡がアップ・ビートの弱拍からはじまるということはじつに徹底したものであって、百曲中の九十曲中まではそうである。」(同書206-207ページ)つまり、日本の伝統音楽のひとつ民謡では、アウフタクトから歌い始めるのが一般的だということです。これは、高田氏の『典礼聖歌』でも全く同様で、この点で、高田三郎氏の作曲は日本の音楽の伝統を踏襲していると言えるのです。
 ちなみに、日本の音楽がこの伝統から逸脱したのは、服部氏の指摘によれば、明治以降であり、「日本人自身が唄のうえではアクセントについてあまりにも無頓着であり、あまりにも大きいあやまりをおかしてきたことは、明治以来の小学唱歌とか軍歌を見ればよくわかるのである。」(同書211ページ)と指摘しています。そして、山田耕筰氏の作曲を上げ、「いずれも弱起からうたいだすようになっている。日本語の微妙なアクセントを音に生かそうとするならば、当然こうなるわけである。民謡はとっくのむかしから実行していることであるのに、その民謡をうたっている日本人の作曲家がこういうことを無視していたまでのことである。民謡が教え、民謡が暗示するところのものはじつに大きいといわなければならない。」(同書213ページ)と、日本の作曲家の日本語の作品について批評しています。
 実際に、これら聖書カンタータ三部作や高田氏の合唱曲はもちろん、『典礼聖歌』を歌っていても、全く、自然に日本語が生かされていることが分かると思います。

 このように、聖書カンタータ三部作は、『典礼聖歌』と同様に、日本の音楽の伝統グレゴリオ聖歌の伝統を取り入れて生かした、「祈り」の歌なのです。

 
 
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by omasico | 2005-11-11 14:21 | 全ブログ共通  

聖書三部作(共通企画)


『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』
1000アクセス記念!全ブログ共通企画

聖書カンタータ三部作
『イザヤの預言』
『預言書による争いと平和』
『ヨハネによる福音』
 『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』は皆様のおかげで、ホームページ開設以来1000アクセスを越えることができました。そこで、全ブログ共通の企画として、聖書カンタータ三部作を取り上げることに致しました。

 高田三郎は、教会の中では『典礼聖歌』の作曲者として有名ですが、「水のいのち」「こころの四季」「ひたすらな道」など、数々の合唱曲を作曲し、合唱界の重鎮・大御所的存在であったことは、あまり知られていません。その一方で、合唱界では、「日本のいのりのこころ」である『典礼聖歌』、合唱音楽では避けて通ることのできない「教会音楽」を日本語で作曲していることは、あまり知られていません。
 この聖書カンタータ三部作は一般の合唱曲でありながら、そのテキストは、自身がカトリック教会の『聖書』朗読から取り上げ、作曲手法も『典礼聖歌』と同じ作曲手法を用いており、一般の合唱曲と、『典礼聖歌』との橋渡し的存在ということができると思います。
 また、今年、2005年は、この聖書カンタータ三部作の第一作、「イザヤの預言」の楽譜発行から25周年の記念の年にもあたります。

そこで、『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』は、本来、『典礼聖歌』の研究が主体ですが、今回は、この聖書カンタータ三部作について、リンクする4つのブログ=『今日の聖歌』、『年代記』、『聖歌 練習日記』、『「祈り」と「聖歌」』共通で、通常の各ブログ固有の記事の他に、記述することに致しました。この企画により、多くの人に、聖書カンタータ三部作を通して、神のことばと、『典礼聖歌』の品位ある深い祈りが伝われば、これにまさる喜びはありません。

 各ブログ固有の記事の合間をぬって、さらにホームページの更新もあるので、定期的な記述にできるかどうかわかりませんが、できる限り週一回の更新を目指したいと思います。
 次回は、「共通する作曲手法として、聖書カンタータ三部作に共通する作曲手法と同時に、『典礼聖歌』とも共通する、高田三郎特有の作曲手法について取り上げたいと思います。実は、これが非常に重要で、これを理解していないと、『典礼聖歌』や聖書カンタータ三部作はもちろん、一般の合唱曲も、テキストを生かして歌うことができないのです。その後、作曲順にそれぞれの曲を見てゆきたいと思います。

 なお、『典礼聖歌』については、『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』をご覧ください。

 

 
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by omasico | 2005-10-28 20:07 | 全ブログ共通  

新刊紹介『早わかりキリスト教』

 先日、家に帰ると、物置の中に一冊の本が配達されていました。送付元は、「日本実業出版社」で、送られる心当たりがありませんでした。が、届け先のわたしの宛名の下に、友人の名前が書いてあるので、早速開封しました。すると、中から出てきたのは
『早わかりキリスト教』
という本でした。ちょうど、この日は長野教会の聖歌隊の練習日だったので、往復の列車で目を通しました。書評などは書いたことがないのですが、友人の書いた本なので、ぜひ皆さんにご紹介したいと思います。
 著者の、宮越俊光氏は、わたくしと同じ年ですが、上智大学・大学院の先輩で、なんと、同じ年の復活徹夜祭に洗礼を受けました。現在は、日本カトリック司教協議会の典礼委員会の秘書という要職にあります。
 『早わかりキリスト教』は、「知りたいことが全部詰まった1冊!」副題にあるように、おおよそ、キリスト教に関することが、コンパクトにまとめられています。各章のタイトルを紹介すると、
第1章=キリスト教とはどのような宗教か?
第2章=聖書の世界
第3章=イエス・キリストの生涯
第4章=キリスト教の歴史
第5章=現代世界とキリスト教
第6章=日本のキリスト教
第7章=キリスト教の儀式
第8章=キリスト教の文化・習慣
第9章=キリスト教のシンボル
第10章=キリスト教の謎

 これを見てもわかるように、キリスト教に関する基本的なことが網羅されています。今まで、このような入門的書物はあまりなく、聖書やキリスト教史、神学などのものも、欧米の翻訳がほとんどで、どうしても一面的な視点が否めませんでしたが、この本の中では、たとえば、十字軍についての記述では、「イエスの福音に根ざした出来事であったとはいえない」と、過去の反省も込められています。また、クリスマスや結婚式などでは、日本の状況に即した記述もされています。
 全体は、見開き2ページが一つの項目で、写真や図解も入り、下段にはその項目に関する「一口メモ」があり、理解を助けています。後ろの索引を使えば、関連する項目を読むこともできます。さらに、巻末には、「日本で使われるキリスト教の言葉」が簡潔にまとめられており、簡単な年表も添えられています。主要参考文献も、最新の、専門家から入門書までがリストアップされています。
  一言、添えるならば、著者の宮越氏自身が「まえがき」で書いているのですが、(わたくしもそうですが)「筆者はカトリックの神学を学んだため、本書の用語や記述はカトリック教会の立場からの者が多くなっていることをお断りしておく」とあるように、一人の著作の限界があることは否めません。また、項目の中に、専門的な言葉の解説がもう少しあるとわかりやすいかな、とも感じました。
 とはいうものの、最初から一通り目を通すこともよし、知りたい項目を読むこともよし、キリスト教について知りたい人だけではなく、キリスト教の信者にとっても、知っておくべきことを、また、キリスト教について聞かれたときの案内書としても、手元においておきたい一冊です。

 ぜひ、お近くの書店でお求めいただき、座右の書、クリスマスプレゼント、入門講座のテキストなど、いろいろと活用していただきたいと思います。
『早わかりキリスト教』
は、「日本実業出版社」から、税込み1470円で発売されています。

 

 
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by omasico | 2005-09-23 20:08 | 全ブログ共通