カテゴリ:歴史と宗教( 6 )

 

閏年、閏日のはなし

今日は、2月29日、四年に一度=正確に言うと400年に97回の閏日です。昨日も書きましたが、何故、年末の12月に閏日が来ないのかですが、現在の暦月は古代ローマの暦から生まれていますが、古代ローマ暦は農耕のために作られました。なので、農耕が行われない、現在の1月と2月は暦月を数えず、名前も付けられていなかったのですが、それでは、1年を通して数えるのが不便なので、のちに、現在の1月と2月が加えられたのです。ですから、当初、ローマの暦は現在の3月から始まり、2月で終わっていたので、暦年の最後の日に閏日を加えるようになり、その習慣が今でも残っているというわけです。

現在、世界で共通に使われている暦の正式名称は「グレゴリオ暦」とい、1582年に当時のローマ司教(教皇、法王)グレゴリオ13世がそれまで使われていたユリウス暦を改訂して制定しました。ユリウス暦はローマ皇帝のユリウス(ジュリアス・シーザー)が紀元前45年に制定し「4年ごとに閏年を置き、2月の最後に閏日を加える」ものでしたが、地球の公転周期が1太陽年に対し、毎年、約11分15秒ほど長いことから、数年間は良いものの、数百年あるいは千年単位になると、日になるくらいの誤差になってしまうことから、当時のローマ司教(教皇、法王)が改訂を命じました。なぜ、改訂が必要になったかと言うと、誤差によって、キリスト教の一番大切な祭日である復活祭の日取りが変わってしまうからです。

「グレゴリオ暦」はそれまでのユリウス暦が「4年に一度」閏年を設けていたのに対し、地球の公転周期との誤差をできる限り少なくするために

暦年の下二桁が4で割れる年を閏年とするが、暦年が100で割り切れる年は閏年としない。ただし400で割り切れる年は閏年とする。


という規定になっています。ですから、20世紀の最後の年となった2000年は、この規定で言うと、本来は閏年にならないはずだった100で割り切れる年だったのですが、400で割り切れることから閏年となったわけで、「グレゴリオ暦」が制定されて、1600年の次に、この細かな規定が適応された閏年(例外の例外)となりました。

さて、このように、現在使われている暦の起源は、実は農耕の開始とともにあったことがわかります。農耕をするには種をまく時期が肝心ですから、その時期を決める必要があったことから暦が始まったと言えるでしょう。人類はおそらく、農耕を始める前の狩猟採集時代には、このような暦を使っていなかったかもしれません。暦を使うようになって、次第に時間に縛られるようになったのでしょう。事実、現在でも狩猟採集で生活をしている人たちや農耕を開始する以前の人々は、一日の労働時間は数時間でよかったことがわかっています。農耕は人類に何をもたらしたのか、考えてみる必要もありそうです。
[PR]

by omasico | 2016-02-29 13:16 | 歴史と宗教  

戦時中の話(2)

前回、このタイトルでは、戦時中でも、庶民には手の届かないものでも、あるところには、あることを書きました。今回は、反対に、あっても、それが、現代では思いもよらないことであることを書いてみたいと思います。
東日本大震災をはじめ、今月の、広島の土石流災害、水害など、まず、被害に見舞われた皆様に、お悔やみとお見舞いを申し上げます。現代の日本では、このような、災害の時には、国内はじめ、海外からも援助の手が差し伸べられ、食料だけは、遅くても数日中のうちには、ほとんどの方に届けられます。また、かなり、深刻な災害でも、おおよそ、ひと月すれば、毎日、同じものだけを食べている、ということは、ないように、思うのですが、いかがでしょうか。
ところが、戦時中はそういうわけにはいかなかったようです。米などのいわゆる、主食となる原料は、戦地に優先的に送られるか、前回お話したようなところで、消費されます。もちろん、昭和18年以降になると、戦地に送られた米も、輸送船がアメリカの潜水艦の標的となり、ほとんどが海の藻屑と消えてしまいました。
内地では、特に、都市部では、食料が不足してきますので、何日に、一度か、配給が行われました。この、配給制度、今では、おそらく考えられないと思いますが、まず、家族の人数によって、配給の量が決まってきます。それも、すべて、一人どれくらいと、一律です。だれは、こういうものが食べられないとか、アレルギーがあるなんてことは、まったく考えられていません。食べられないほうが悪い、という理論です。
 次に、配給される食品は、ある日は、米、その次は、大豆、など、一回の配給で、決まったものしか配られません。ですから、前の配給で配られたものを食べてしまっていれば、というより、配給は毎日のようにあるわけではありませんから、すでに食べてしまっている場合がほとんどですから、配給で配られた食品以外食べるすべがありません。つまり、次の配給まで、手元に、他の食料品がなければ、大豆を食べて、飢えをしのぐしかなかったわけです。
 同じことは、父から聞いた話なのですが、これは、戦時中ではないのですが、漁師の網元の家でも同じだったようで、イカが取れたときには、おかずは、毎日、イカ。ニシンが取れたら、毎日、ニシンだったそうです。
 現代では、よほどのことがない限り、二週間、毎日、食パンとサバ缶だけ、ということは、ないと思ます。
 戦時中の話しというと、ついつい、戦場体験や空襲体験が多くなりますが、こういった、庶民の普段の生活も、不自由を強いられたことも、伝えてゆきたいものです。

[PR]

by omasico | 2014-08-28 09:12 | 歴史と宗教  

8月15日と9月2日

日本では、この日、前日の8月14日に公布された「大東亜戦争終結ノ勅書」の録音が放送されたことが、大きな理由となっていると思います。

しかし、連合国諸国では、日本が降伏文書に調印した段階をもって、戦争が終結した、としています。これが、国際的な常識なのです。

日本の常識は世界の非常識、と言われることがありますが、終戦についても、同じことが言え、降伏文書に調印するまでの間は、まだ、戦争が終結していなかったので、当時のソ連が、どんどん、侵攻してきて、多くの悲劇が生まれたことも、覚えておく必要があると思います。

日本には、「契約」という意識が非常に弱いように思われます。近年問題になっている、サービス残業にしても、雇用側と使用者の間の契約はどうなっていたのか。それ以前に、その契約が、労働基準法に違反していることがあれば、問題であることが、無視されていることは、やはり、「契約」という概念の薄さが原因の一つではないかと思います。

このような「契約」概念の欠如は、同時に、日本の軍隊が持っていた、また、近年では、核発電所の建設でも起こった、「起こってほしくないことは、起こらないことにする」という、風土につながるのではないかと思います。なぜなら、「契約」の基本になるのは、論理的思考だからです。論理的思考ができていれば、「起こってほしくないことは、起こらないことにする」ということはあり得ないからです。


[PR]

by omasico | 2014-08-15 14:10 | 歴史と宗教  

戦時中の話(1)

明日は、聖母の被昇天、そして、終戦の玉音放送が流れた日です。
そこで、86歳の母が、時々してくれる話を皆さんにお伝えしたいと思います。
日中戦争中から、戦地の兵隊さんに、内地から慰問袋が送られました。中には、戦地で苦労しておられる兵隊さんへの感謝の贈り物や、手紙も添えられました。たいてい、手紙の返事が来ても、それが、続くことはなかったようですが、たまたま、母が送った慰問袋を受け取った方と母は、それ以来、文通が続きます。その方は、下士官だったのですが、大変優秀な方で、なんと、陸軍士官学校で教官に任命され、内地に戻ってこられました。
士官学校もそうですが、内地の兵舎には、酒保と呼ばれる、ま、今でいえば社内食堂と売店が一緒になったような、ところがありました。戦争中ですから、「贅沢は敵だ」「ほしがりません、勝つまでは」といった標語が街頭にあふれていた時代なのですが、その方は、ある時、酒保から、母の家に、羊羹を持ってきてくださったそうです。
その羊羹は、今でも、普通の和菓子屋さんでもお目にかかれないような、端には、砂糖が結晶になったように固まった羊羹だったそうです。
それ以外にも、一般の家では、電気は使用限度があったのですが、職業軍人の、特に、高級将校の家では、そういうことはなく、電気も存分に使えたとか。
これ以上のことは書きませんが、これが、戦争中の現実だということです。
ちなみに、日本では、8月15日が終戦記念日となっていますが、連合国では、ミズーリー号艦上で、調印式がなされた日が、戦争の終わりとされています。この、違いをどのようにとらえるのかは、また、別の機会に記したいと思います。

[PR]

by omasico | 2014-08-14 22:03 | 歴史と宗教  

教皇、フランシスコのことば(1)

聖ヨハネ・パウロ二世の宣言と共に、現教皇フランシスコの次のことばは、人類にとって、最も貴重な忠告となるはずです。

 「戦争をやめてください! もうやめてください! 私は特に子どもたちのことを思います。まともな人生や未来への希望を断たれ、死んでしまった子どもたち、傷を負った子どもたち、体を切断された子どもたち、親を失った子どもたち、戦争の不発弾をおもちゃにしている子どもたち、ほほ笑むことを知らない子どもたち。もうやめてください! 私は心の底から皆さんにお願いします。今こそ戦争をやめる時です!」
 「私たちは思い起こしましょう。戦争で全ては失われますが、平和で失われるものは何もないのです」

〈以上、「カトリック新聞」2014年8月10日号より〉

...

 戦争をする人、戦争に必要な武器を作る人たちは、きっと、≪何かのために≫戦争をし、武器を作るのだろう。
 しかし、戦争をやめ、平和を求める人は、《誰かのために》、戦争をやめようとし、平和を求めるのだと思う。


[PR]

by omasico | 2014-08-10 18:27 | 歴史と宗教  

ささげもの

宗教学的に見て、おそらく、人間は、自ら神とあがめる存在に対して、自分たちが主食とする食材をささげてきたのではないかと思われます。
たとえば、天皇家では、今でも、新嘗祭、神嘗祭には、五穀がささげられています。
ところで、世界中で一番読まれているといわれる『聖書』では、どうでしょうか。
まず、旧約聖書の創世記4章では、カインとアベルの兄弟がそれぞれ、兄のカインが土の実りを、弟のアベルが羊の初子をささげますが、神が受け入れたのは弟のアベルのささげものでした。
次に、ノアが洪水が終わった後に築いた祭壇でささげたものは、清い家畜と清い鳥でした(創世記8章20節)。
さらに、イスラエルの父と呼ばれるアブラハムが息子のイサクのかわりにささげたものは、一匹の雄羊でした(創世記22章)。
このように『聖書』の古代史を見ると、人々が神にささげたものは、家畜などの動物であり、これは、間接的ですが、人間が動物を、すなわち、タンパク質と脂質を主食としていた証拠といえることができるのではないかと思います。
『聖書』には、「人間の一生は百二十年となった」(創世記6章3節)とあります。人間が、食事も含めて、本来、神が与えられた生き方をすれば、モーセのように、健康で120年の人生を全うできるということです。
ちなみに、キリストも「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に、復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである」(ヨハネ6章54・55節)と言われました。
古代では、卵はなかったかもしれませんが、家畜の肉や乳製品からできる、バターは人間の主食。現代で言えば、MEC食こそ、『聖書』の世界と共通する本来の食事と言えるのです。

[PR]

by omasico | 2014-08-09 21:16 | 歴史と宗教